著名作品の「書き出し」と「書き終わり・結び」 |
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「書き終わり・結び」 |
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・文字をクリックすると、説明や文章が出たり消えたりします。 |
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・主に明治・大正から昭和初期の作家の、日本文学を主とする著名な作品の「書き出し」と「書き終わり・結び」を収録しました。一部翻訳文も含まれます。 ・詩集や、段などで書かれている作品は、初めの一編(一段、一作など)と最後の一編(一段、一作など)を「書き出し」「書き終わり・結び」として示しました。小説や随筆などにおける「書き出し」「書き終わり・結び」とはやや趣が異なります。 ・このページでは、『作家別・た行』の作品の「書き終わり・結び」、つまり作品の最後の部分を表示します。 ・「書き出し」は別のページで見ることができます。「書き出しを見る」をクリックして下さい。 ・「インターネット電子図書館 青空文庫 」からの引用がかなりの割合を占めます。引用したサイトがある場合、それぞれの作品の原文へのリンクを設けました。 ・研究や学習にお使いの際は、辞典・専門書などでご確認下さい。 |
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「やあ、また僕の悪口を書いている。エピキュリアンのにせ貴族だってさ。こいつは、当っていない。神におびえるエピキュリアン、とでも言ったらよいのに。さっちゃん、ごらん、ここに僕のことを、人非人なんて書いていますよ。違うよねえ。僕は今だから言うけれども、去年の暮にね、ここから五千円持って出たのは、さっちゃんと坊やに、あのお金で久し振りのいいお正月をさせたかったからです。人非人でないから、あんな事も仕出かすのです」 私は格別うれしくもなく、 「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ」 と言いました。 それは、私の生れた子を、たったいちどでよろしゅうございますから、あなたの奥さまに抱かせていただきたいのです。そうして、その時、私にこう言わせていただきます。 「これは、直治が、或る女のひとに内緒に生ませた子ですの」 なぜ、そうするのか、それだけはどなたにも申し上げられません。いいえ、私自身にも、なぜそうさせていただきたいのか、よくわかっていないのです。でも、私は、どうしても、そうさせていただかなければならないのです。直治というあの小さい犠牲者のために、どうしても、そうさせていただかなければならないのです。 ご不快でしょうか。ご不快でも、しのんでいただきます。これが捨てられ、忘れかけられた女の M・C マイ、コメデアン。 昭和二十二年二月七日。 「いいえ、泣くというより、……だめね、人間も、ああなっては、もう駄目ね」 「それから十年、とすると、もう亡くなっているかも知れないね。これは、あなたへのお礼のつもりで送ってよこしたのでしょう。多少、誇張して書いているようなところもあるけど、しかし、あなたも、相当ひどい被害をこうむったようですね。もし、これが全部事実だったら、そうして僕がこのひとの友人だったら、やっぱり脳病院に連れて行きたくなったかも知れない」 「あのひとのお父さんが悪いのですよ」 何気なさそうに、そう言った。 「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、……神様みたいないい子でした」 ひとりの少女が、 「メロス、君は、まっぱだかじゃないか。早くそのマントを着るがいい。この可愛い娘さんは、メロスの裸体を、皆に見られるのが、たまらなく口惜しいのだ。」 勇者は、ひどく赤面した。 (古伝説と、シルレルの詩から。) 「ありがたう。」 ふたり声をそろへてお礼を言ふ。うちへ帰つて現像してみた時には驚くだらう。富士山だけが大きく写つてゐて、ふたりの姿はどこにも見えない。 その翌る日に、山を下りた。まづ、甲府の安宿に一泊して、そのあくる朝、安宿の廊下の汚い欄干によりかかり、富士を見ると、甲府の富士は、山々のうしろから、三分の一ほど顔を出してゐる。 (昭和十四年二月―三月) 性慾と悲哀と絶望とが 薄暗い一室、戸外には風が 「 女の口には金歯が光った。声もしゃがれたようであった。女は昨夜の挨拶にそこへ来ているのであった。 午後に笹村は、長く壁にかかっていた洋服を着込んで、ふいとステーションへ独りで出向いて行った。そしてちょうど 互いに手を握りつつ、二人が涙は滴々として墓標の下(もと)に落ちたり。 ややありて中将は涙(なんだ)を払いつ。武男が肩をたたきて 「武男君(さん)、浪は死んでも、な、わたしはやっぱい卿(あんた)の爺(おやじ)じゃ。しっかい頼んますぞ。――前途遠しじゃ。――ああ、久しぶり、武男さん、いっしょに行って、ゆるゆる台湾の話でも聞こう!」 |
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