土用の丑の日の鰻
= 明治から昭和初期の文芸作品 =

《 土用の鰻が登場する、明治後期から昭和初期の文芸作品 》
『 旧主人 』島崎(しまざき) 藤村(とうそん)    1902年〈明治35年〉11月「新小説」
祗園(ぎおん)の祭には青簾(あおすだれ)を懸けては下(はず)し、土用の丑(うし)の鰻(うなぎ)も盆の勘定となって、地獄の釜の蓋(ふた)の開くかと思えば、直(じき)に仏の花も捨て、それに赤痢の流行で芝居の太鼓も廻りません。
『 食道楽 春の巻 』村井(むらい) 弦斎(げんさい)     1903年〈明治36年〉1月3日~3月30日 「報知新聞」
日本人の食物は殊(こと)に夏になると極端まで脂肪分に欠乏しますから随(したがっ)て営養分にも不足する。そこで天然の民間療法として土用の丑の日に鰻(うなぎ)を食べるということがあります。あれは丑の日に限った訳ではない。ちょうど土用中になると人の身体が脂肪分を要するから鰻のような脂肪の多い食物を取らねばならんという自然作用です。
『 残されたる江戸 』柴田(しばた) 流星(りゅうせい)    1911年〈明治44年〉5月

蒲焼と蜆汁

土用に入っての夏の食いものに、鰻と蜆とは江戸ッ児の真先に計えあげる一つで、つづいては泥鰌、浅蜊のたぐいである。

『 行乞記(ぎょうこつき) (三) 』 種田(たねだ) 山頭火(さんとうか)    1932年〈昭和7年〉6月1日~1932年〈昭和7年〉9月20日

 七月廿七日

今日は土曜(マヽ)の丑の日。
鰻どころか、一句もない一日だつた!
だが、夕方になつて隣室から客人から、蒲焼一片を頂戴した。
まことに鰻ひときれの丑の日だつた!
『 其中日記(ごちゅうにっき)(八) 』 種田(たねだ) 山頭火(さんとうか)    1935年〈昭和10年〉1月1日~1935年〈昭和10年〉12月6日
 七月二十四日 晴、曇(マヽ)かつた。

また徹夜だ、人間として(彼が出来てゐる人間ならば)、食べるものがまづいとか、夜眠れないとかいふことがあるべき筈はない、私は罰せられてゐるのだ。
冬村君を久しぶりに工場に訪ねる、夫婦共稼ぎの光景である、彼等は父母と仲違ひして別居してゐる、こゝにも人生悲劇の場面が展開されてゐるのである。
昨日の酒があつまつてゐるので、朝酒昼酒そして晩酌、ありがたいことだ。
人のなさけを感じること二度。
番茶を味ふ、トマトを味ふ。
今日は土用丑の日、とうとう鰻には縁がなかつた、鰻よりも鮎を食べたいのだが。
秋茄子三本、秋胡瓜三本を植ゑる、この価五銭、あんまり安すぎる。

『鰻の話 』北大路(きたおおじ) 魯山人(ろさんじん)    1935年〈昭和10年〉
 私は京都に生まれ、京都で二十年育ったために、京、大阪に詳しい。その後、東京に暮して東京も知るところが多い。従って批判する場合、依怙贔屓(えこひいき)がないといえよう。うなぎの焼き方についても、東京だ大阪だと片意地(かたいじ)はいわないが、まず批判してみよう。
 夏の季節は、どこも同じように、一般にうなぎに舌をならす。従ってうなぎ談義が随所(ずいしょ)に花を咲かせる。うなぎ屋もこの時とばかり「土用の丑(うし)の日にうなぎを食べれば健康になる」とか「夏やせが防げる」とかいって、宣伝にいとまがない。
 一般的に、食欲の著しく減退しているこの時期に、うなぎがもてはやされるというのは、うなぎが特別扱いに価(あたい)する美味食品であることに由来しているようだ。だが、ひと口にうなぎといっても、多くの種類があり、良否があるので、頭っからうなぎを「特別に美味(うま)いもの」と、決めてかかるのはどうだろうか。
(略)
 最後に、うなぎはいつ頃がほんとうに美味いかというと、およそ暑さとは対照的な一月寒中の頃のようである。だが、妙なもので寒中はよいうなぎ、美味いうなぎがあっても、盛夏(せいか)のころのようにうなぎを食いたいという要求が起こらない。美味いと分っていても人間の生理が要求しない。しかし、盛夏のうだるような暑さの中では、冬ほどうなぎは美味ではないけれど、食いたいとの欲求がふつふつと湧(わ)き起こって来る。これは多分、暑さに圧迫された肉体が渇したごとく要求するせいであって、夏一般にうなぎが寵愛(ちょうあい)されるゆえんも、ここにあるのであろう。もちろん、一面には土用の丑(うし)の日にうなぎと、永い間の習慣のせいもあろう。
『雑節』節分、彼岸、入梅、土用など  
 今年の土用の丑の日は?  

Last updated : 2025/12/26