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= 御殿山の花盛 =

《御殿山の花盛》
《翻刻》
御殿山の花盛  寛文の頃とかや 和州吉野の桜木をここに移されたりしより 盛の頃の賑わひは他に比ぶるかたもなし

《現代表記》
御殿山の花盛ごてんやまのはなざかり   寛文かんぶんの頃とかや。和州わしゅう吉野よしの桜木さくらぎをここに移されたりしより、盛りの頃のにぎわいはよそくらぶるかたもなし。

和州わしゅうは、大和国やまとのくにの異称で、現在の奈良県。
*寛文は、1661年から1673年。
漢字かな
*説明は、などの意。
*寛文は、1661年から1673年。
《御殿山の花盛 其二》
《翻刻》
御殿山の花盛 其二 慶長 元和のそのむかし 省耕の殿ありしにより 御殿山とぞ名におへる 左に深川洲崎を望み 右は遥に安房上総 かすめる春は殊更興あり

《現代表記》
御殿山の花盛ごてんやまのはなざかり 其二  慶長かいちょう元和げんなのそのむかし、省耕せいこう殿とのありしにより、御殿山ごてんやまとぞ名におえる。左に深川ふかがわ洲崎すざきを望み、右ははるかに安房あわ上総かずさ、かすめる春は殊更ことさらきょうあり。

*「殿との」は、「やかた」「ごてん」などの意。
*慶長は、1596年から1615年。
*元和は、1615年から1624年。

*広重は、名所江戸百景     でも「品川御殿やま」を描く。

*御殿山は、海上砲台である台場を造るために後に削り取られることになる。広重は、「再出 御殿山当時のさま」として、御殿山が削り取られた様子を第七編で描き残した。 第七編「再出 御殿山当時のさま」   
*説明は、などの意。
*万治は、1658年から1661年。
漢字かな
*この地図の初期設定での中心点は御殿山付近。初期設定の左の地図は関東平野迅速測図と呼ばれる地図で、明治前期の、明治13年〈1880年〉から明治19年〈1886年〉にかけての関東平野。

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Last updated : 2021/10/23