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絵本江戸土産(えほんえどみやげ)・くずし字を読む
= 小梅の堤 =

《小梅の堤》
《翻刻》
小梅の堤  この辺總て北本庄といふ 吾妻橋より東にあたり させる勝地にあらずといへども 掘割の水の流れは一條の帯のごとく 農人廣野に耕すさま 筆にもをさ/\及ひなき風流閑静の土地なれば 世を避るの人 とくに住して老を養なふの便とす

《現代表記》
小梅の堤(こうめのつつみ)   この辺(へん)総(すべ)て北本庄(きたほんじょう)という。吾妻橋(あずまばし)より東(ひがし)にあたり、させる勝地(しょうち)にあらずといえども、掘割(ほりわり)の水の流れは一條(ひとすじ)の帯(おび)のごとく、農人(のうにん)広野(こうや)に耕(たがえ)すさま、筆(ふで)にもおさおさ及びなき風流閑静(ふうりゅうかんせい)の土地(とち)なれば、世を避(さく)るの人、とくに住(じゅう)して老(おい)を養(やし)なうの便(たつき)とす。

*「させる勝地」の「させる」は、さしたるに同じで、これといった、たいしたなどの意。
*「耕(たがえ) す」は、近代では専ら「耕(たがや) す」と使われるが、「たがやす」は「たがえす」の変化した語。
*「便(たつき)」は、「たずき」とされ、手がかり、よるべき手段、方法などの意。方便・活計と書かれる。
*広重は、名所江戸百景     でも「小梅堤」を描く。
*説明は、などの意。
*万治は、1658年から1661年。
漢字(かな)
*この地図の初期設定での中心点は小梅堤付近。初期設定の左の地図は関東平野迅速測図と呼ばれる地図で、明治前期の、明治13年〈1880年〉から明治19年〈1886年〉にかけての関東平野。
*迅速測図で、小梅村が確認できる。

Last updated : 2025/12/26