恵方 えほう
その年の歳徳神
のいる方角で、その年の干支によって決められます。めでたく良い方向とされ、陰陽道(おんみょうどう・おんようどう・いんようどう)での考え方です。
歳徳神 としとくじん
歳徳神
とは、陰陽家(おんようけ・いんようか)で年の初めに祭る神で、その年の福徳を司るとされます。歳徳神のいる方向を恵方、または明の方
と言い、全てにおいて吉とされます。
十干・十二支と恵方
今年 (2025年) の惠方は「西南西やや西 (255°)」
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西暦
下1桁 |
十干 |
十二支と恵方の方位 |
方角 |
角度
(方位角) |
4 |
甲 |
寅卯の間(甲の方位) |
東微北/東北東微東 (東から北へ15°) |
東北東やや東 |
75° |
5 |
乙 |
申酉の間(庚の方位) |
西微南/西南西微西 (西から南へ15°) |
西南西やや西 |
255° |
6 |
丙 |
巳午の間(丙の方位) |
南微東/南南東微南 (南から東へ15°) |
南南東やや南 |
165° |
7 |
丁 |
亥子の間(壬の方位) |
北微西/北北西微北 (北から西へ15°) |
北北西やや北 |
345° |
8 |
戊 |
巳午の間(丙の方位) |
南微東/南南東微南 (南から東へ15°) |
南南東やや南 |
165° |
9 |
己 |
寅卯の間(甲の方位) |
東微北/東北東微東 (東から北へ15°) |
東北東やや東 |
75° |
0 |
庚 |
申酉の間(庚の方位) |
西微南/西南西微西 (西から南へ15°) |
西南西やや西 |
255° |
1 |
辛 |
巳午の間(丙の方位) |
南微東/南南東微南 (南から東へ15°) |
南南東やや南 |
165° |
2 |
壬 |
亥子の間(壬の方位) |
北微西/北北西微北 (北から西へ15°) |
北北西やや北 |
345° |
3 |
癸 |
巳午の間(丙の方位) |
南微東/南南東微南 (南から東へ15°) |
南南東やや南 |
165° |
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十干 じっかん
- 甲 きのえ …… (こう)
- 乙 きのと …… (おつ)
- 丙 ひのえ …… (へい)
- 丁 ひのと …… (てい)
- 戊 つちのえ … (ぼ)
- 己 つちのと … (き)
- 庚 かのえ …… (こう)
- 辛 かのと …… (しん)
- 壬 みずのえ … (じん)
- 癸 みずのと … (き)
恵方巻き
立春の前日の節分の夜に、恵方に向かって、願い事をしながら無言で太巻き寿司を丸かじりする風習があります。
この風習は、もともと大阪地方のもので、その巻き寿司が「恵方巻き」「恵方寿司」などと呼ばれています。 大阪では、「巻き寿司」「丸かぶり寿司」などと呼ぶのが一般的です。
1990年代の後半頃から、コンビニエンスストアなどが販売促進として展開するようになり、2000年代に入るとスーパーマーケットチェーンなどにも広まって全国の節分の風習としてほぼ定着したとされます。
なお、2002年に主婦と生活社から発行された「冠婚葬祭すぐ使える実用事典(606ページ)」には、四季の行事の項目があり、節分など一年間の行事が詳細に載っていますが、「恵方巻き」についての記述はありませんでした。
恵方参り・恵方詣り・恵方詣で
元日に、その年の恵方にあたる神社・仏閣に参詣し、一年の福徳を祈ります。
七草がゆと恵方
一月七日の「
人日
の
節句
」には、七草がゆを食べる習慣があります。この七草がゆを作る際にも「恵方」が登場します。
「七草たたき」とも言われる風習で、囃子詞を唄いながら七つの台所道具で七草を叩く際に「歳徳神の方を向く」と、江戸時代の文献に記されています。
■ 江戸時代に、
喜田川守貞
という人が書いた「
守貞謾稿
巻之二十六(春時)」の一文です。
正月七日 今朝、三都
[編集注:三都とは、江戸、京都、大阪のこと] ともに
七種
の
粥
を食す。
七草の歌に曰く、
芹
、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すゞな、すゞしろ、これぞ七種。以上を七草と云うなり。しかれども、今世、民間には一、二種を加うのみ。
(中略)
三都ともに六日これを買い、同夜と七日暁と再度これをはやす。はやすと云うは、
俎
になずなを置き、その傍に薪・庖丁・火箸・
磨子木
・
杓子
・銅杓子・菜箸等七具を添え、
歳徳神
の方に向い、まず庖丁を取りて、俎板を拍ち
囃子
て曰く、「
唐土
の鳥が、日本の土地へ、渡らぬさきに、なずな
七種
、はやしてほとゝ」と云う。江戸にて「唐土云々渡らぬさきに、七種なずな」と云う。残り六具を、次第にこれを取り、この語をくり返し唱えはやす。
(中略)
ある書に曰く、七草は、七づゝ七度、合せて四十九
叩
くを本とす。
【編集注】「
唐土
」は、「もろこし」「から」とも読み、昔、日本から中国を呼んだ言葉で、ここでの「唐土の鳥が日本の土地へ渡らぬさきに」は、大陸から鳥が疫病を持って来ないうちに、また、農耕に悪さをする鳥を追い払うという意味と思われる。なお、この囃子詞には、「唐土の鳥と日本の鳥と、渡らぬさきに、七草なずなな」など、伝承によって様々ある。
【編集注】「
守貞謾稿
」は、天保8年(1837年)
から慶応3年(1867年)
まで、
喜田川守貞
によって30年間にわたって書かれた江戸時代後期の風俗史。
【編集注】「
守貞謾稿
」は、国立国会図書館デジタル化資料 で読むことが出来ます。
陰陽道 おんみょうどう / おんようどう
古代中国の自然哲学思想と陰陽五行説を起源として日本に伝来し、七世紀頃に日本で特異な発展を遂げた自然科学と呪術の体系といわれます。
陰陽道に携わる人を陰陽師(おんみょうじ・おんようじ)と呼び、大宝令には規定がありましたが、後世には民間において加持祈祷を行うようになりました。