[1] 春の七草とは(せり・なずな …)
= 春の七草・春の七種 =

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  七草の英名 

 春の七草・春の七種

 はるのななくさ
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春の七草画像「せり なずな おぎょう はこべら ほとけのざ すずな すずしろ」(「おぎょう」は「ごぎょう」とも)
春の七草の寄せ植え(東京都神代植物公園 2014/01/10)「せり なずな おぎょう はこべら ほとけのざ すずな すずしろ」(「おぎょう」は「ごぎょう」とも)   春の七草の寄せ植え(東京都神代植物公園 2014/01/10)「せり なずな おぎょう はこべら ほとけのざ すずな すずしろ」(「おぎょう」は「ごぎょう」とも)

[1] 春の七草とはなんでしょうか?
春の七草を声に出して読んでみましょう。

  • 新しい年を祝いお正月気分がまだちょっと残っている1月7日は、五節句の一つ「 人日じんじつ節句せっく 」です。この日には「七草粥ななくさがゆ」を食べて邪気を祓い、一年の無病息災と五穀豊穣を祈るとされる風習があります。[五節句とは ▶]
  • この日は、「七草」「七草の節句」「七草の祝い」などとも言われます。
  • 注:「七草」は、七種類の意味の「七種」とも書かれる。
    注:「節句」は、本来の用字は「節供」とする説がある。
  • では、「七草」とは何を指すのでしょうか。「七草」の起源は何でしょうか。ここでは、それらを見てみたいと思います。
  • 七草の種類は、次のような「五七五七七」の覚えやすい短歌調で現代に伝わります。春の七草とは せり なずな おぎょう はこべら ほとけのざ すずな すずしろ

せり
なずな
おぎょう
はこべら
ほとけのざ
すずな
すずしろ
これぞななくさ

せり
なずな
御行おぎょう
繁縷はこべら
仏の座ほとけのざ
すずな
蘿蔔すずしろ
これぞ七草

注:「おぎょう」は「ごぎょう」とも呼ばれますが、ここでの読み方は、ごぎょうは誤り』とする植物学者・牧野富太郎博士の説     に拠りました。近年、一般には「ごぎょう」とするものが多く見られるようですが、植物を扱った専門書などでの「七草」の解説では「おぎょう」とするものが見られます。
  • では、「せり・なずな・おぎょう・はこべら・ほとけのざ・すずな・すずしろ」の、現在言われている種類などを見てみます。春の七草とは せり なずな おぎょう はこべら ほとけのざ すずな すずしろ
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名称など
備考
セリ

セリ科
 セリの若菜は香りが良く、お浸しなどの食用に。「七草」の時期以外でも鍋物などに使われる。

植物学者・牧野富太郎博士による『図説普通植物検索表』での「セリ」の図 江戸時代後期の寛政12年・1800年に書かれた『春の七くさ・春菜考』より「セリ」の図 江戸時代後期に鹿持雅澄(1791-1858)によって書かれた『万葉集品物図絵』より「セリ」の図
ナズナ

アブラナ科
 ナズナの別名はペンペングサ、シャミセングサ、バチグサなど。 かつては冬の貴重な野菜で、若苗を食用にする。
 江戸時代の民間での七草粥の材料は、江戸ではナズナに小松菜を加え、関西ではナズナにカブを加えた二種ほどであった。〔後述〕

春の七草 「ナズナ・薺」(ペンペングサ・シャミセングサ)の花 春の七草 「ナズナ・薺」(ペンペングサ・シャミセングサ)の実 植物学者・牧野富太郎博士による『図説普通植物検索表』での「セリ」の図 江戸時代後期の寛政12年・1800年に書かれた『春の七くさ・春菜考』より「ナズナ」の図
オギョウ
(ゴギョウ)
御行
御形

キク科
 オギョウは、ハハコグサ(母子草)のこと。
 オギョウは、ゴギョウとも。一般には「ゴギョウ」とするものが多く見られる。
 ハハコグサは、ホウコグサとも。生薬名で 鼠麹草そきくそう
 この植物の名称について、植物学者の牧野富太郎(1862-1957)は、1919年〈大正8年〉の入江弥太郎との共著「雑草の研究と其利用」で、『ははこぐさ(鼠麹草) (略)一名ごぎうと称す。是れ宜しくおぎゃう(御行と書す)ならざるべからず』とし、「おぎょうでなくてはならない」としている。
 また、「オギョウは御行と書くがこれをゴギョウと言うのは くない」(『植物記(1943年・昭和18年)』)、『ゴギョウは誤』(『図説普通植物検索表(1950年・昭和25年)』)としている。また、「五行、五形と書くのは非」(『植物記』『植物一日一題』)としている。

春の七草 「オギョウ・ゴギョウ・御行・御形」の花 春の七草 「オギョウ・ゴギョウ・御行・御形」の種 植物学者・牧野富太郎博士による『図説普通植物検索表』での「オギョウ」の図 江戸時代後期の寛政12年・1800年に書かれた『春の七くさ・春菜考』より「オギョウ」の図
ハコベラ
繁縷
蘩蔞

ナデシコ科
 ハコベのこと。古名でハクベラとも。
 お浸しなどの食用にできるほか、小鳥に野菜代わりの餌として食べさせたりする。
 ハクベラは「波久倍良」として、平安時代の辞書類の『新撰字鏡』や、『本草和名』『和名類聚抄』などに見られる他、『拾芥抄』に「蘩蔞」のルビとして見られる。

春の七草 「ハコベ」の花 植物学者・牧野富太郎博士による『図説普通植物検索表』での「ハコベ」の図 江戸時代後期の寛政12年・1800年に書かれた『春の七くさ・春菜考』より「ハコベ」の図
ホトケノザ
仏の座

タビラコは
キク科

現在の
ホトケノザは
シソ科
 現在の紫紅色の花を付けるホトケノザではなく、タビラコ(田平子)を指し、食用にするのはコオニタビラコ(小鬼田平子)とされる。
 ただし、オオバコの絵を描く文献〔古今沿革考・後述〕や、七種類の中にホトケノザとタビラコの双方をあげる文献〔壒嚢鈔・後述〕もあったりする。
 現在の紫紅色の花を付けるホトケノザはシソ科だが、食には絶えられない。春の七草のタビラコはキク科で黄色い花を付ける。タビラコは、カワラケナとも。

春の七草で「ホトケノザ・仏の座」とされる「コオニタビラコ」の花。キク科 春の七草で「ホトケノザ・仏の座」とされる「コオニタビラコ」の種。キク科 シソ科の「ホトケノザ・仏の座」 植物学者・牧野富太郎博士による『図説普通植物検索表』での「ホトケノザ」の図 江戸時代後期の寛政12年・1800年に書かれた『春の七くさ・春菜考』より「ホトケノザ」の図
スズナ
鈴菜

アブラナ科
 カブ(蕪)のこと。

江戸時代後期の寛政12年・1800年に書かれた『春の七くさ・春菜考』より「スズナ」の図
スズシロ
蘿蔔
清白

アブラナ科
 ダイコン(大根)のこと。

江戸時代後期の寛政12年・1800年に書かれた『春の七くさ・春菜考』より「スズシロ」の図

【リンク】牧野富太郎ほか著による『児童野外植物のしをり』に書かれた「春の七草」と挿絵 
1912年・明治45年(国会図書館デジタルコレクション)  
  • これまで述べたように、現在の「七草」はこのような植物として一般化しています。

せり
なずな
おぎょう
はこべら
ほとけのざ
すずな
すずしろ
これぞななくさ

せり
なずな
御行おぎょう
繁縷はこべら
仏の座ほとけのざ
すずな
蘿蔔すずしろ
これぞ七草

  • では、次から、七草の起源などについて見てみたいと思います。
  • が、ちょっとその前に……
  • ちょっと知識』- 初出は『河海抄』なのか? 

     今に伝わる春の七草の起源や種類などについては、これまでの調査で分かったことなどについてこの後の項で述べて行こうと思いますが、一点だけ、市井で誤って伝えられているのではないかと気になることがありますので、ここで簡単に記しておきます。

     それは、「せり・なずな・おぎょう・はこべら・ほとけのざ・すずな・すずしろ」を『春の七草として紹介したのは』、または、『初めて出て来るのは』、または、『歌に詠んだのは』、 四辻善成よつつじよしなり という人が1362年頃に書いたとされる『 河海抄かかいしょう 』という書物であるとしているものが見られる点です。

     ある記述には、『鎌倉時代の「河海抄」にみえる「〈中略〉これぞ 七種ななくさ 」の歌に詠み込まれている7種』といった表現や、「現在の7種は『河海抄』が初見」といった表現があったり、売られている七草のパックに印刷されているものなども見られました。

     確かに『河海抄』には『七種』が記されていますが、その表現は、「七種  なずな   繁縷はこべら   せり   すずな   御形おぎょう   酒々代すずしろ   佛座ほとけのざ 」であって、 “ 歌 ” の形にはなっていません。(注:参考にした国立国会図書館所蔵の原文  ではルビは振られていない)

     また、『河海抄』(1362年頃の成立)よりも前に、同じ種類の植物を『七種菜』として紹介している文献があり、一つは、『河海抄』よりも70年程前の1290年頃に成立した『 年中行事秘抄ねんじゅうぎょうじひしょう 』の 「 なずな   蘩蔞 はこべら   せり   すずな   御形 おぎょう   須々代 すずしろ   仏座 ほとけのざ (注:参考にした国立国会図書館所蔵の原文  ではルビは振られていない)、もう一つは、『河海抄』よりも20年程前の1340年頃に成立した『 拾芥抄しゅうがいしょう 』の 「 なずな   蘩蔞 はくべら   せり   すずな   御形 ごぎょう   須須之呂 すずしろ   佛座 ほとけのざ (注:参考にした国立国会図書館所蔵の慶長年間版  ではルビは振られていない)で、どちらも種類、並び共に『河海抄』と全く同じす。

     五七五七七の “ 歌 ” の形として初めて登場するのは、現時点の調査では、『河海抄』より20年程後の、1384年頃に書かれた『 梵灯庵袖下集ぼんとうあんそでしたしゆう 』という連歌の語彙注釈集で、「せりなづな ごぎやうはこべら 仏のざ すずなすずしろ これぞ七草」と記されています。

     この後の項では、上記のような内容を、現在に残る文献の引用などで見て行きたいとと思います。

  • このサイトでは、いくつかの文献を引いていますが、この他にも文献や説があることも考えられ、ここに述べたことが全ての情報ではありません。皆様からのご指摘をお待ち致します。
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Last updated : 2023/06/06