[7] 七草の囃子詞・七草囃子・七草たたき
= 春の七草・春の七種 =

  春の七草 
  七草がゆの作り方 
  秋の七草 
  秋の七草の家紋 
  七草の英名 

 春の七草・春の七種

 はるのななくさ
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春の七草 「せり なずな おぎょう はこべら ほとけのざ すずな すずしろ」(「おぎょう」は「ごぎょう」とも)

[7] 七草の囃子詞はやしことば七草囃子ななくさばやし・七草たたき

七草囃子
七草囃子・ななくさばやし
この画像の「七草囃子」は、言い伝えなどを総合して作ったもので、これが正しいということではありません。
  • 前項で、「六日になずなを買って、同夜と七日暁と再度これをはやす」という江戸の市中での風習が出て来ました。
  • この、七草を “はやして”  “叩く” 風習を表す言葉として、
    「七草(七種)たたき」「 薺打なずなうち
    「七草(七種)の囃子」「七草(七種)を囃す」 などがあります。
  • 七草囃子ななくさばやし 」として歌われる囃子詞には、様々な伝承があります。
  • 江戸時代の関西での囃子詞(「守貞漫稿」より)
    • 唐土とうどの鳥が、日本にほんの土地へ、渡らぬさきに、なずな七種ななくさ、はやしてほとと
  • 江戸時代の江戸での囃子詞(「守貞漫稿」より)
    • 唐土云々渡らぬさきに、七種なずな
  •  江戸時代後期に書かれた『守貞謾稿』に見られる「七種の粥」「七草爪」など
    『守貞謾稿 巻二十六(春時)』より
     正月七日
     喜田川守貞
     国立国会図書館所蔵

    注:『 守貞謾稿もりさだまんこう』は、天保8年・1837年 から慶応3年・1867年 まで、 喜田川守貞 きたがわもりさだ によって30年間にわたって書かれた江戸時代後期の風俗史。
  • 伝承される様々な囃子詞
    • 七草なずな、唐土の鳥が、日本にほんの土地に、渡らぬ先に、七草なずな、手につみいれて、こうしとちょう
      • 唐土とうど 」は、「もろこし」「から」とも読み、昔、日本にほんから中国を呼んだ言葉で、ここでの「唐土の鳥が日本の土地へ渡らぬ先に」などの言葉は、大陸から鳥が疫病を持って来ないうちに、また、農耕に悪さをする鳥を追い払うという意味も込めているものと思われます。
      • 「唐土の鳥」と言われる中国の鳥は、「 鬼車鳥きしゃちょう (「きしゃどり」とも)」と言われる鳥で、「ふくろう」の属とされる頭が九つの怪鳥です。鬼車鳥は夜になると飛び回り、人家に入ると凶事があり幼児に祟りをすると恐れられました。また、人の爪を好むとされました。
      • この言い伝えが、「夜爪を切るな」という俗信の根拠の一つにもなっているとも言われます。
      • 「こうしとちょう」とは、「亢觜斗張」で、中国古代天文学による二十八宿の中の四つの星、亢、觜、斗、張を指し、これを書くことで鬼車鳥の類を追い払ったといわれます。
    • 七草なずな、唐土の鶏が、日本の土地に、渡らぬ先に、ストトントン
    • 七草なずな、唐土の鳥が、渡らぬ先に、ストトン、トントン
    • 七草なずな、唐土の鳥と、日本の鳥が、渡らぬ先に、ストトン、トントン
    • 唐土の鳥と、日本の鳥と、渡らぬ先に、七草なずなな
    • 七草なずな、唐土の鳥が、渡らぬ先に、七草なずな、トコトントントン、トコトントントン
    • 七草なずな、唐土の鳥と、日本の鳥と、渡らぬ先に、トントントン、トントントン
    • 七草なずな、唐土の鳥が、日本の土地に、渡らぬ先に、トントンぱたり、トンぱたり
  • 「七草の囃子」の基になったのではないかと思われる風習が、このサイト内の「 人日 じんじつ 」の項にも出て来た日本の七草がゆの起源になったのではないかとされる記述のある、中国の「 荊楚歳時記けいそさいじき 」に見られます。
  • その内容は、「正月の夜に鬼鳥(注:鬼車鳥)が沢山飛ぶので、それを追い払うために家々では槌で床や戸を打って鳴らし、 いぬ の耳をねじ って吠えさせ、また、明かりを消して鬼鳥を祓った」というものです。
    ・6世紀の半ばに成立
    荊楚歳時記けいそさいじき
     『荊楚歳時記』に見られる「正月の夜に鬼鳥が沢山飛ぶので、それを追い払うために家々では槌で床や戸を打ち、狗の耳をねじって吠えさせ、明かりを消して鬼鳥を祓った」という趣旨の文字
    『荊楚歳時記』(梁宗懍撰)
     (廣漢魏叢書 明刊より)
      国立国会図書館所蔵
    • 九頭の怪鳥「鬼車鳥きしゃちょう 」は、首の一つを犬に噛まれいつも血を滴り落としているとされます。「荊楚歳時記」に出て来る「 いぬ の耳をねじ る」というのは、鬼車鳥を噛んだことがある、鬼車鳥に対抗出来る狗を吠えさせて鬼車鳥を追い払うということと思われます。
  • この風習については、大正11年・1922年に永尾竜造によって書かれた、日本人にほんじんによる中国民俗研究書の「支那民俗誌」でも触れられています。
  • 『七草粥の習慣は中国から来たことは知らぬ人はない』とし、『唐土の鳥というのは、中国では鬼車鳥といって恐れられたもの』としています。
    ・大正11年・1922年成立
    『支那民俗誌』
     『支那民俗誌』に見られる「七草」について。
    『支那民俗誌. 上巻』 永尾竜造
      大正11年・1922年
      国立国会図書館所蔵
  • 寛永15年・1638年に成立したとされる『桐火桶きりひおけ 』(藤原定家が書いたと伝えられる)には、『七草は49回叩く』として、『亢觜斗張こうしとちょう』が含まれる囃子詞が記されています。
    1. ・寛永15年・1638年の成立
      桐火桶きりひおけ
      正月七日、七草を叩くに、七つづゝ七度通ふなれば、四十九叩くなりと有識の人申しけるとばかりなり。是もしひて問ひ申しければ、それ迄の事はとて笑ひつゝ語り給ふ。まづ七草は七星なり。四十九叩くは七曜、九曜、廿八宿、五星、合せて四十九の星をまつるなり。
       唐土の鳥と、日本のとりと、わたらぬ先に、七草なづな、手につみいれて、亢觜斗張
       『桐火桶』に見られる「七草囃子」について
      『桐火桶』
      伝 藤原定家
      (寛永15年・1638年)
      「群書類従」より
      国立国会図書館所蔵
       『桐火桶』に見られる「七草囃子」について。「新校群書類従」
      『桐火桶』
      伝 藤原定家
      「新校群書類従」より
      (昭和12年・1937年版)
      国立国会図書館所蔵

      群書類従ぐんしょるいじゅう』は、江戸時代後期に塙保己一はなわほきいちが編纂し刊行した叢書。

  • この『 桐火桶きりひおけ 』の記述について、江戸時代の随筆家で雑学者の 山崎美成やまざきよししげ が、文政5年・1822年に書いた『民間時令』で解説をしています。
    1. ・文政5年・1822年の成立
      『民間時令』
      桐火桶(類従本) なゝくさなづな たうどのとりと にほんのとりと わたらぬさきに なゝくさなづな てにつみいれて かうしとちやう」 (桐火桶には、初のなゝくさ なづなの一句なし、されど今は先にしか唱へり、これを加へざれば、四十九にならず、今補ひて四十九の数をあはせ置。)
      注:『民間時令』の著者山崎美成は、「桐火桶では、最初の『七草なずな』が書かれていないが、これがないと四十九にならない。今はこれを最初に言うので、これを書き足した」として、『桐火桶』を引用しながら『桐火桶』にはない「なゝくさなづな」を書き足している。
       『食物服用之巻』に見られる「せり、なづな、ごぎょう、たびらこ、仏の座、すずな、すずしろ これやななくさ」の文字
      『民間時令』(文政5年・1822年成立)
       山崎美成
       『民間風俗年中行事』(大正5年・年版)より
        国立国会図書館所蔵

  • 前出の『 桐火桶きりひおけ 』や『民間時令』には『日本にほんの鳥と』という言葉が出て来ますが、天保3年・1832年に山東庵京山の作、歌川国芳の画で刊行された『五節供稚童講訳ごせっくおさなこうしゃく 』では、これは『日本の土地』の誤りであるとしています。
  • つまり、「唐土とうどの鳥が、日本にほん の土地へ(に)、渡らぬさきに」と言うのが正しいということになるでしょうか。また、「渡らぬさきに」も「渡るを避けん」が正しく、間違って伝えられて来ているとする趣旨のことを書いています。
    1. ・天保3年・1832年の成立
      五節供稚童講訳ごせっくおさなこうしゃく
      唐土 とうど とり こと  正月六日の夜、 擂粉木すりこぎ庖丁ほうちょう切匙せっかいたぐい、食用の品七ツ集めて打ち囃す事、 上つ方より下々した/″\までする事なり。打ち囃す言葉に、「とうどの鳥と日ほんの鳥と、わたらぬさきに、といふ。とうどの鳥とは、唐土もろこしの鳥といふ事、日本の鳥とは、日本の土地といふ誤りなり。これをいかなる謂われと尋ぬるに、歳時記さいじきといふ書に、正月七日、鬼車鳥きしゃとり渡る。この鳥、人の魂を消し、血をしたたらす。血の滴りたる家は災いありとて、正月六日の夜、七日のあかつきにも、門口かどぐちを叩きてこの鳥を驚かして、他所へやる、といふ。この説をもて、昔より、唐土とうど鬼車鳥きしゃてう、日本の土地へ、渡るを避けん、と唱へし(をカ)、渡らぬ先にと、誤り唱え来たりしなり。
      「隣の七艸ななくさで目が覚めたゆゑ、よんどころなく叩くのだ。叩いてよければ、おらが宿六やどろくつらを叩きてへ。きのふから出て、まだ帰らねへ。いけ馬鹿々々しい。「とゝうの鳥は二本の鼻毛、わからぬ奴だ。とゝ、/\/\とんよ。
       『五節供稚童講訳』に見られる七種を囃す図。鬼車鳥から子どもを守り、七草を叩く母親の図か。
      五節供稚童講訳 ごせっくおさなこうしゃく
       〔唐土の鳥の事〕
        天保3年・1832年
        山東庵京山 作  歌川国芳 画

  • 江戸時代から明治にかけての錦絵や文献に「七種を囃す」様子が残されていますので、そのいくつかを見てみます。
    『案内者』に見られる七種を囃す図。七草の種類は諸説があって「不分明」としている。 寛文2年・1662年 中川喜雲 
    『案内者』
    寛文2年・1662年
    中川喜雲 著
    『長岡城下年中行事図絵 七種をはやす』 長岡市立中央図書館所蔵 
    『長岡城下年中行事図絵 七種をはやす』
    初代 片山翠谷 画
    (天明6年・1786年 ~ 弘化3年・1846年)
    長岡市立中央図書館所蔵
     『絵本江戸爵』に見られる七草を囃す図。日本橋芳町の茶屋での風景。天明6年・1786年刊 喜田川歌麿画
    絵本江戸爵えほんえどすずめ
    天明6年・1786年刊
    喜田川歌麿 画
    『五節供稚童講訳』に見られる七種を囃す図 天保3年・1832年 山東庵京山作 歌川国芳画 
    五節供稚童講訳 ごせっくおさなこうしゃく
    天保3年・1832年
    山東庵京山 作  歌川国芳 画
     『錦絵『春遊娘七草』弘化元年・1844年 二代目歌川豊国
    錦絵『春遊娘七草』
    弘化元年・1844年
    二代目歌川豊国 画
     『江戸府内絵本風俗往来』に見られる七種を囃す図。明治38年・1905年刊 菊池貴一郎(芦乃葉散人・四代目歌川広重)
    『江戸府内絵本風俗往来』
    明治38年・1905年刊
    菊池貴一郎 画
    (芦乃葉散人・四代目歌川広重)
  • 次に、「小正月こしょうがつ」の「七種粥ななくさかゆ 」と「小豆粥あずきがゆ」の風習について見てみましょう。
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