[4]「七草がゆ」の風習と「若菜摘み」の風習・行事
= 春の七草・春の七種 =

  春の七草 
  七草がゆの作り方 
  秋の七草 
  秋の七草の家紋 
  七草の英名 

 春の七草・春の七種

 はるのななくさ
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春の七草 「せり なずな おぎょう はこべら ほとけのざ すずな すずしろ」(「おぎょう」は「ごぎょう」とも)

[4]「七草がゆ」の風習と「若菜摘み」の風習・行事

  • これまでも述べたように、1月7日の朝に七種類の野菜を入れた「 七草粥ななくさがゆ 」を食べる風習があり、現代では、単に「七草」というと、この「七草粥」を食べる風習を指すことが多いようです。
  • 日本にほんでは、古来から年の初めに野に出て芽を出し始めた草を摘み取る「若菜摘わかなつみ」が行われており、この風習に、中国から伝わった「七種菜羹しちしゅさいかん(ななしゅのさいかん)(「羹」は「こう」とも)」という、旧暦1月7日の「人日じんじつ」の日に七種類の野菜を入れた あつもの (注:熱く煮た吸い物)を食べて無病を祈る習慣が結び付き、「七草粥」を食べて邪気を祓い、一年の無病息災と五穀豊穣を祈るとされる「七草」の風習ができたと言われています。
  • 若菜を摘む風習・行事は、『万葉集』『古今集』『土佐日記』『枕草子』などにも見られます。
    1. 『万葉集』に見られる「若菜摘み」 巻頭 雄略天皇
      もよ み籠持こもち 堀串ふくしもよ み堀串持ぶくしもち このおか菜摘なつます
      家告いへのらせ 名告なのらさね
       『万葉集』巻頭 雄略天皇に見られる「若菜摘み」『籠よ み籠持 堀串よ』
      『万葉集 巻一』 
       [清水浜臣 (写)]
        国立国会図書館所蔵
      万葉集まんようしゅう 』は、日本に現存する最古の和歌集。納められている最も新しい歌は天平宝字3年・759年のため、それ以後の編纂とされる。天皇、貴族から下級官人、防人などさまざまな身分の人の歌を4,500首以上も集めている。

    1. 『万葉集』に見られる「若菜摘み」 巻八 - 1427 山部赤人
      明日あすよりは 春菜採わかなつまむと めしに 昨日きのふ今日けふも ゆきりつつ
       『万葉集』巻八 - 1427 山部赤人に見られる「若菜摘み」『明日よりは』
      『万葉集 巻八』 
       [清水浜臣 (写)]
        国立国会図書館所蔵

    1. 『古今集』に見られる「若菜摘み」 光孝天皇
      君がため 春の野に出でて 若菜つむ わが衣手に 雪は降りつつ
      「古今集 春上・21」 光孝天皇(天長7年・830年 〜 仁和3年・887年)
    1. ・承平5年・935年頃の成立
      『土佐日記』に見られる「若菜」
      七日になりぬ。同じ湊にあり。今日は白馬を思へどかひなし。たゞ浪の白きのみぞ見ゆる。かゝる間に人の家〔野イ〕の池と名ある所より鯉はなくて鮒よりはじめて川のも、海のも、ことものども、ながびつにになひつゞけておこせたり。わかなこに入れて雉など花につけたり〔十七字イ無〕。若菜ぞ今日をば知らせたる。歌あり。そのうた、
      「淺茅生の野邊にしあれば水もなき池につみつるわかななりけり」。
      いとをかしかし。
      底本:青空文庫  土佐日記を青空文庫で読む

      注:〔 〕内は、割註。
      注:「白馬あをむま」は、白馬節会あおうまのせちえ のことで、正月七日に行われた奈良時代以降の宮廷の年中行事の一つ。「この日にもらった物の中に若菜が入っていて今日が正月七日だと思い起こさせてくれた」と書いている。
      『土佐日記』
       [定家本土佐日記 : 尊経閣叢刊]
         国立国会図書館所蔵
       『定家本土佐日記 : 尊経閣叢刊』
      『土佐日記』[現代語訳]
      藤村作編 昭和22年・1947年刊
      国立国会図書館所蔵
       『土佐日記』[現代語訳]

      『土佐日記』 は、紀貫之が土佐国から京に帰る55日間の船旅を、筆者を女性に仮託して、全行程を1日も欠かさず仮名文で書き綴った虚実混交の日記文学。承平5年・935年頃の成立とされる。〈男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり〉という書き出しで有名。
    1. ・長保2年・1000年頃の成立
      『枕草子』に見られる「若菜」
         一二六 七日の日の若菜を

       七日の日の若菜わかなを、六日むいか人の、さわぎ取り散らしなどするに、見も知らぬ草を、子どもの取りて来たるを、「なにとかこれをば言ふ」と問へば、とみに言はず、「いま」など、これかれ見合はせて、「耳無草みみなぐさ となむ言ふ」と言ふ者のあれば、「むべなりけり。聞かぬ がほなるは」と笑ふに、またいとをかしげなる菊の、でたるをて来たれば、
         つめどなほ耳無草こそあはれなれあまたしあれば菊もありけり
      と言はまほしけれど、またこれも聞き入るべうもあらず。
      底本:小学館「新編 日本古典文学全集」

      『枕草子』 は、清少納言による随筆で、平安中期の長保2年・1000年頃 の成立とされる。作者の宮仕えの体験などを、日記・類聚・随想などの形で記した。人生や自然、外界の事物の断面を鋭敏な感覚で描き、源氏物語と並ぶ平安女流文学の双璧とされる。
    1. ・作者の赤染衛門は、平安中期の女流歌人(960年頃〜1040年頃)
       
      赤染衛門集 あかぞめえもん に見られる「若菜」「七草摘み」
      注:文字での三首の底本は、与謝野寛ほか編『日本古典全集. 榮華物語 下 附赤染衞門集』より。(大正15年・1926年)
      注:画像の「赤染衛門集」は、国立国会図書館所蔵の「群書類従ぐんしょるいじゅう」より。『群書類従』は、江戸時代後期に塙保己一はなわほきいちが編纂し刊行した叢書。

       此人〔爲基〕法師に成りての頃、正月七日、
        髭籠ひげこに若菜を入れて遣るとて
      春日野かすがのに今日の若菜を摘むとても猶三吉野の山ぞ□〔戀ナラン〕しき
        返し
      さ夜更けて獨り帰りし袖よりも今日の若菜は露けかりけり
       『やしなひぐさ』に見られる、「せりなづな五ぎやうはこべら佛のざすヾなすヾしろこれぞ七くさ」の文字。
       『群書類従 巻二百七十七 上 赤染衛門集』より  国立国会図書館所蔵


       正月七日、稲荷の渡りにすむ人、鋤と云ふ物申し渡り、
       若菜をおこせたりしに
      春日野かすがのの若菜かとこそ思ひしに稲荷の山のすき〔杉〕も積みけり
       同じ 子日ねのひなりしに
      何れかに先づ〔松〕手掛けまし子日野ねのひのに若菜も今日は摘むべかりけり
       『やしなひぐさ』に見られる、「せりなづな五ぎやうはこべら佛のざすヾなすヾしろこれぞ七くさ」の文字。
       『群書類従 巻二百七十七 下 赤染衛門集』より  国立国会図書館所蔵


       正月七日、若菜、人に遣るとて
      春日野の今日七草ななくさの是れならで君を問ふ日〔烽火〕は何時いつぞとも無し
       『やしなひぐさ』に見られる、「せりなづな五ぎやうはこべら佛のざすヾなすヾしろこれぞ七くさ」の文字。
       『群書類従 巻二百七十七 下 赤染衛門集』より  国立国会図書館所蔵


      赤染衛門あかぞめえもん
      生没年未詳。平安中期の女流歌人(960年頃〜1040年頃)。中古三十六歌仙・女房三十六歌仙の一人。赤染時用ときもちの娘。「後拾遺和歌集」などに多く歌があり、和泉式部と並び称される。家集に「赤染衛門集」。「栄花物語」前編の作者ともいわれる。
  • 江戸時代の中期、元禄になる前後(元禄元年は1688年)に書かれたとされる年中行事絵本『 大和耕作絵抄やまとこうさくえしょう』に、「若菜摘み」の様子や、「の日の遊び」と言われ、子の日に行われたという「小松引き」の様子などが描かれています。
  • 『大和耕作絵抄』では、七草の種類を「せり、なづな、御形、たびらこ、ほとけのざ、すヾな、すヾしろ、これぞ七種」としています。
    ・江戸時代の中期、元禄になる前後の成立
    大和耕作絵抄やまとこうさくえしょう
     元禄前後に書かれたとされる『大和耕作絵抄』に見られる「若菜摘み」の様子。
    『大和耕作絵抄』
     石川流宣
     国立国会図書館所蔵
    石川流宣いしかわとものぶ は、江戸時代中期の浮世絵師。『大和耕作絵抄』は、年中行事絵本。

  • 前出以外にも、数々の和歌や俳句などにも若菜を摘む様子などが詠まれ、その風習を知ることが出来ます。
    1. 【和歌】
       国栖等が春菜採むらむ司馬の野のしましま君を思ふこのごろ
      詠み人知らず『万葉集』
       春日野のとぶひの野守いでて見よ今いくかありて若菜つみてむ
      詠み人知らず『古今集 春上・18』
       み山には松の雪だに消えなくにみやこは野辺の若菜つみけり
      詠み人知らず『古今集 春上・19』
       梓弓おして春雨今日降りぬ明日さへ降らば若菜つみてむ
      詠み人知らず『古今集 春上・20』
       春日野の若菜摘みにや白妙の袖ふりはへて人のゆくらむ
      紀貫之『古今集 春上・22』
       里人の裾野の雪を踏み分けてただ我がためと若菜つむらん
      後鳥羽上皇『遠島御百首・5』
    1. 【俳句】
       古畑や薺摘行男ども 芭蕉
       一とせに一度摘まるる薺かな 芭蕉
       茜うら帯にはさんで若菜摘 一茶
       きのふより若菜摘そへ薺売り 杉風
       ひとり摘む薺の土のやはらかに 汀女
       若菜摘む人を恋ほしく待つ間かな 汀女
       薺摘む頬にしたがへる雪の阿蘇 汀女
       薺つむ帷子雪のふまれけり 蛇笏
       薺つむかたびらゆきのふまれけり 蛇笏
       畠より頭巾よぶなり若菜つみ 其角
       山彦はよその事なりわかな摘 千代女
       若菜つみ野になれそむる袂かな 樗良
  • また、江戸時代に詠まれた川柳にもよく登場します。
  • ここにあげる二句の川柳のうち、一句目は、安永7年・1778年 に句集『 誹風柳多留はいふうやなぎだる』に収載された川柳で、二句目は、さらにそれを利用して天保11年・1840年 に『 画本柳樽えほんやなぎだる 』として挿絵入りで出版されたものです。 挿絵には当時の人気の浮世絵師が参加したとされます。
  • この川柳は、前述の、「古今集」に見られた光孝天皇の『君がため 春の野に出でて 若菜つむ わが衣手に 雪は降りつつ』からの援用とされます。
    【川柳】
     うぬが爲 春の野に出る なづなうり
    (安永7年・1778年「柳多留」十六・2・梅1)
     おのがため はるの野に出る なづなつみ
    (天保11年・1840年「画本柳樽」)
    〔基になった和歌〕
       光孝天皇(天長7年・830年 〜 仁和3年・887年) 「古今集 春・21」
     君がため 春の野に出でて 若菜つむ わが衣手に 雪は降りつつ
    「おのがため はるの野に出る なづなつみ」天保11年・1840年「画本柳樽」
    おのがため はるの野に出る なづなつみ(「画本柳樽」天保11年・1840年)
     この川柳の基になった光孝天皇の和歌では、「君がため」、つまり「あなたのために」と優雅に詠んでいるのに対し、援用した川柳では、「うぬがため」「おのがため」と、「なずなを摘むのは自分のためだ」、「摘んだなずなを売って自分の生計の足しにするんだ」と、ちょっと世知辛い句になっています。
     江戸時代の文献『守貞謾稿』には、「六日に困民・小農ら市中に出て、これを売る。京坂にては売詞に曰く、吉慶のなずな、祝いて一貫が買うておくれ、と云う。一貫は、一銭を云う戯言なり。江戸にては、なずな/\と呼び行くのみ」とあって、「なずな売り」が正月六日に市中を歩いたことが分かります。

  • 次に、「七草粥」の風習が一般にも広まって行くきっかけともなったと思われる、江戸幕府による「五節句」の公式行事などについて見てみましょう。
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