[13] 【参考】江戸の「なずな」「なずな売り」
= 春の七草・春の七種 =

  春の七草 
  七草がゆの作り方 
  秋の七草 
  秋の七草の家紋 
  七草の英名 

 春の七草・春の七種

 はるのななくさ
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春の七草画像「せり なずな おぎょう はこべら ほとけのざ すずな すずしろ」(「おぎょう」は「ごぎょう」とも)

[13] 【参考】江戸のなずななずな売り

  • 春の七草・野辺の薺(ナズナ)
    野辺のナズナ
    なずな 」は、ペンペングサ、シャミセングサ、バチグサなどとも呼ばれる植物で、道端でもよく見られます。
  • 春の七草の中でも最もポピュラーな材料で、かつては冬の貴重な野菜として若苗が食用にされていました。牧野富太郎の『植物記』には、「浸しものにしてもよく、あるいはゴマ和えにしてもよい、又油でイタメても結構ダ」などと書かれています。
  • 春の七草・薺(ナズナ)の若菜
    ナズナの若菜
    これまでに見てきた文献の中にも、「江戸時代の民間での七草粥の材料は、江戸ではナズナに小松菜を加え、関西ではナズナにカブを加えた二種ほどであった」などと見られ、また、七草粥を作る際の囃子詞にも「七草なずな 唐土の鳥が…」と出てくるなど、「ナズナ」は春の七草の代表格のような存在です。

  • 七草囃子・ななくさばやし
    この画像の「七草囃子」は、言い伝えなどを総合して作ったもので、これが正しいということではありません。
  • 「ナズナ」は、江戸時代には「 なずな 売り」という商売が存在し、また、俳句や川柳などの題材としてもよく使われています。ここでは、「なずな 」や「 なずな 売り」「七種ななくさ」「若菜わかな」「七種爪ななくさづめ」などが出てくる文献や、俳句、川柳などを、江戸時代の作品や江戸時代を描いた作品を中心に見てみます。
    江戸 文献 季語 俳句 川柳[1] 川柳[2] 摘み 売り 叩き
    文献に見る「なずな」「なずな売り」「七種ななくさ」など
    1. ・文化4年・1807年刊
      按古於当世あごおとせ』に見られる「薺売り」
            『古典文庫』 武藤禎夫編(平成元年・1989年)より
      按古於当世あごおとせ」 南華房 撰
      ○なずな
      物堅き武家、
      「あすは、人日じゃ。なずなを買わん」と、玄関に居られしに、
      表を、「なずなや、なずなや」と、売り声聞こえければ、
      「これ、可助、なずなを呼べ」
      可助「はい」と、いうて表へ出、
      「これこれ、なずな、なずな」と、なずな売りを呼び入れける。
      旦那出て、「これ親父、なずな、なずなというが、七草揃うているか」
      なずな売り「はい、これが、なずなでござります」
      旦那「いやさ、せり、なずな、ごぎょう、はこべら、仏のざ、すずな、すずしろ、これぞ七草というて、その七草ひちくさそろうているか」
      なずな売り「このなずなのほか、七草ひちくさとては、この綿入れわたいればかりでござります」

      注:「七草」を「質草しちぐさ 」としたサゲ。

      注:南華房による「按古於当世」は、笑話や小咄を集めた咄本はなしぼん落咄集おとしばなししゅう で、江戸の地名を名古屋に変え、尾張の方言を多用している点などが特色の一つとされる。方言としては、例えばこの咄の中での「はこべら」を「くさべら」としている点などがそれとされる。

      注:このページでは、本サイト編集において、武藤禎夫編による翻刻を基に現代仮名遣いや漢字交じりにするなどした。

      注:武藤禎夫編「古典文庫」収載の原文
        ○なずな
      物がたき武家。あすハ人日じや。なづなをかわんと。玄関に居られしに。表を なづなや/\とうり声きこへけれバ。コレ可助 なずづなをよべ 可助ハイといふて表へ出。これ/\なづな/\」と なずなうりを呼ひ入れける。旦那出て。コレ親父 なづな/\といふが。七草揃ふているか なづなうりハイ是がなづなでござります 旦那イヤサせり。なづな。ごぎやう。くさ( はこ )べら。仏のざ。すゞなすゞしろ是ぞ七草といふて。その七草ひちくさそろふているか なづなうり此なづなの外。七草ひちくさとては。此わた入ればかりでござります
    1.  江戸時代後期の『守貞謾稿』に見られる「薺売り」
      「守貞謾稿 巻之二十六(春時)」
      正月七日
       今朝、三都ともに 七種 ななくさ かゆ を食す。[注:三都とは、江戸、京都、大阪のこと]
       七草の歌に曰く、 せり 、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すゞな、すゞしろ、これぞ七種。以上を七草と云うなり。しかれども、今世、民間には一、二種を加うのみ。
       三都ともに六日に困民・小農ら市中に出て、これを売る。京坂にては売詞に曰く、吉慶のなずな、祝いて一貫が買うておくれ、と云う。一貫は、一銭を云う戯言なり。江戸にては、なずな/\と呼び行くのみ。
       三都ともに六日これを買い、同夜と七日暁と再度これをはやす。
      (中略)
       京坂は、この なずな 蕪菜 かぶな を加え煮る。江戸にても、小松と云う村より出る菜を加え煮る。
       江戸時代後期に書かれた『守貞謾稿』に見られる「七種の粥」「七草爪」など
      『守貞謾稿 巻二十六(春時)』より
       正月七日
       喜田川守貞
       国立国会図書館所蔵


      注:『守貞謾稿もりさだまんこう』は、喜田川守貞きたがわもりさだ による江戸時代の様々な風俗や事物が記された全35巻に及ぶ書物で、天保8年・1837年 から書き始め、日本にほんが明治の時代へと入る直前の慶応3年・1867年 に脱稿。実に30年間に亘って様々な事物習俗を江戸と京坂(京都・大坂)の違いを交えて書き綴り、また、「追考」「追書」として不明であった点を補ったり、誤謬点の訂正を行ったりしている。 「近世風俗史の基本文献」とも評される。
    1. 上方落語100選』に見られる「なずな売り」

      「豆屋」
       ただいまはあまり見かけませんが、昔はよく町中へ物を売りに来はったもんですが、あの商人さん、大きい声で売り声を叫びながら歩くんですが、この売り声ちゅうのがなかなか難しいもんで、一声と三声は呼ばぬなずな売り。
       たいていこの呼び声は二声に決まってございまして、たとえば花屋さん、かならず二声で呼びなはる、花イー花、花イー花、二声やさかい花売りに来たような感じがします。
       同じことで、これ一声やったらどないなすか、花、花、なんじゃ女子衆さんを呼んでるようになる。
       ホナ三声やったらどないなるか、花花花、鼻拭きそうになります。

      注:『上方落語100選』は、五代目笑福亭松鶴しょうふくていしょかく、六代目松鶴という上方落語の興隆に心血をそそいだ二人の十八番のネタから、速記によってまとめた落語。(書籍説明より)
    1. ・昭和42年・1967年刊
      松本清張 『 紅刷り江戸噂べにずりえどうわさ 』に見られる「なずな売り」
      「紅刷り江戸噂」
      七種粥ななくさがゆ
      「いま何刻なんどきだえ?」
      「そろそろ八ツ(午後二時)になります」
      「もう、そうなるかえ。明日は七種ななくさだから、なずなを買うことにしよう」
      「おかみさん、それはわたしどもでやります」
      「なに、久しぶりにわたしも買ってみたい。日ごろの買物と違うからね」
       お千勢は、裏口から傘を開いて往来に出た。雪はまだしんしんと降っている。どの家も入り口を半開きにして籠っていた。往来には人影が少なかった。
       お千勢がたたずんでいると、向こうからみのを着たなずな売りが天秤棒てんびんぼうをかついで来た。彼の菅笠すげがさの上にも雪が溜まっていた。「なずな、なずな」とその男は少し甲高い触れ声をしていた。
       お千勢が呼止めるまでもなく、なずな売りは軒先に立っている彼女を認めて、自分から近づいて来た。
      「おかみさん、なずなを買っておくんなさい」
       お千勢は籠を見た。雪をかぶった青い草が両方の籠からはみ出ていた。
      「おまえさんはどこから来なさったのかえ?」
       お千勢はなずな売りに訊いた。
      「へえ、池袋の在から来ました。おかみさん、安くしておくから買っておくんなさい」
       なずな売りは天秤棒を肩から下ろした。籠の雪を手で払うと、下から鮮やかな青い色が現れた。七種は、せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ、の七種類となっている。
      「わりと新しいようだね」
      「へえ、今朝、畑から採ってきたばかりで、わっちは少し出遅れたため、荷があまり捌けません。おかみさん、祝儀物だ。おめえさんのところは人数も多い大店おおだなのようだから、景気をつけておくんささい」
       彼は云った。その笠の下の顔は三十すぎぐらいであった。あまり百姓の顔とは思えなかった。しかし、なずな売りは近在の百姓だけでなく、それを当てこんで貧しい者が仕入れをして売りにくる。
      「どれがなずなで、どれがはこべらかえ?」
       と、千勢は青い草に眼を向けた。
       そこに別な傘が近づいてきた。
      「おかみさん、なずな買いですかえ?」
       と、四十年配の男が声をかけた。
      『松本清張全集 24』(昭和47年・1972年 文藝春秋刊)より
      松本清張(1909年・明治42年 - 1992年・平成4年)

      注:この後、七種粥を作る様子や、鬼車鳥、七種爪などの「七草」にまつわる風習も登場し、物語が進行します。
    季語に見る「七種ななくさ」「若菜わかな」「なずな」「七種爪ななくさづめ」など
    1. 【季語・傍題】
      七種ななくさ    七草ななくさ    七種粥ななくさがゆ    七草粥ななくさがゆ    七日粥なぬかがゆ    齊粥なずながゆ    若菜粥わかながゆ    七種ななくさはやす    七草ななくさはやす   なずなはやす   七種打ななくさうち    薺打なずなうち    七草打ななくさうち    七草ななくさたたく    薺打なずなうつ    なずな拍子ひょうし    宵薺よいなずな    若菜迎わかなむかえ   たた    七所祝ななとこいわい    七雑炊ななぞうすい    七種貰ななくさもらい    七種ななくさもらい    二薺ふたなずな    七種売ななくさうり    若菜売わかなうり    薺売なずなうり    若菜摘わかなつみ    七種摘ななくさつみ    七種籠ななくさかご    七草菜ななくさな    祝菜いわいな    若菜わかな    初若菜はつわかな    若菜野わかなの    若菜舟わかなぶね    七種ななくさふね    若菜わかな
      若菜わかな    若菜祭わかなまつり    七草祭ななくさまつり    七種祭ななくさまつり    若菜神事わかなしんじ    七種爪ななくさづめ    七草爪ななくさづめ    薺爪なずなづめ    菜爪なづめ    六日爪むいかづめ    七日爪なぬかづめ    爪剪つめき
    俳句に見る「なずな」「七種ななくさ」「若菜わかな」など
    1. 【俳句】
      雪の戸や若菜ばかりの道一つ 言水
      古畑や薺摘行男ども 芭蕉
      よもに打つ薺もしどろもどろ哉 芭蕉
      蒟蒻にけふは売かつ若菜哉 芭蕉
      畠より頭巾よぶなり若菜つみ 其角
      百人の雪掻しばし薺ほり 其角
      七種や跡にうかるる朝からす 其角
      砂植の水菜も来り初若菜 其角
      若菜屋が摘や鳥羽田の二十石 其角
      霜は苦に雪は楽する若菜哉 嵐雪
      きのふより若菜摘そへ薺売り 杉風
      わかな野や鶴付初し足の跡 杉風
      きのふ今朝足の早さよ若菜売 杉風
      老の身に青みくはゆる若菜かな 去来
      つみすてゝ踏付がたき若な哉 路通
      蒔捨て自然とけふはわかな哉 曾良
      一すくい鍬に雪見るわかな哉 涼菟
      君よりは身のため寒し若菜売 也有
      夜起きて揚屋の薺はやしけり 几董
      雑炊の色も雪間の薺かな 几董
      七草に鼠が恋もわかれけり 几董
      まないたの七野に響くわかなかな 几董
      茜うら帯にはさんで若菜摘 一茶
      七草を打ってそれから寝役かな 一茶
      薺売鮒の釣場をおしへけり 白雄
      大雪の旦若菜をもらひけり 白雄
      七くさや袴の紐の片むすび 蕪村
      七種のそろはずとてもいわゐ哉 白雄
      山彦はよその事なりわかな摘 千代女
      若菜つみ野になれそむる袂かな 樗良
      下京やさざめき通る薺うり 蝶夢
      ならべ置膳に薺の響きかな 我峯
      まな板にうすくまかるゝ薺かな 青蘿
      濡縁や薺こぼるる土ながら 嵐雪
      一きほひ六日の暁や打薺 許六
      六日八日中に七日のなづな哉 鬼貫
      なな草や次手に扣く鳥の骨 桃隣
      老の腰摘にもたゝく薺かな 也有
      ほとゝぎすわたらぬさきに薺かな 召波
      小わらはの物は買よきわかな哉 召波
      京縞の頭巾で出たり薺うり 暁台
      わかなつむ人をしる哉鳥静 暁台
      七種や唱哥ふくめる口のうら 北枝
      七種や粧ひしかけて切刻み 野坡
    川柳に見る「なずな」「七種ななくさ」「若菜わかな」「七種爪ななくさづめ」など  [1]
  • 江戸時代に詠まれた川柳には「七種ななくさ」「なずな」などがよく登場します。
  • 次にあげる三句の川柳の一句目は、安永7年・1778年 に句集『 誹風柳多留はいふうやなぎだる 』に、二句目は、天明5年・1785年に『川柳評万句合勝句刷せんりゅうひょうまんくあわせかちくずり』に収載された川柳で、三句目は、天保11年・1840年 に『 画本柳樽えほんやなぎだる 』として挿絵入りで出版されたものです。 挿絵には当時の人気の浮世絵師が参加したとされます。
  • これらの川柳は、前述の「古今集」に見られた、光孝天皇の『君がため 春の野に出でて 若菜つむ わが衣手に 雪は降りつつ』からの援用とされます。
    【川柳】
     うぬが爲 春の野に出る なずなうり
    (安永7年・1778年「誹風柳多留」十六・2・梅1)
     君よりは 先ず 我が為の なずな売り
    (天明5年・1785年「川柳評万句合勝句刷」満壱)
     おのがため はるの野に出る ななつみ
    (天保11年・1840年「画本柳樽」)
    〔基になった和歌〕
        光孝天皇(天長7年・830年 〜 仁和3年・887年) 「古今集 春・21」
     君がため 春の野に出でて 若菜つむ わが衣手に 雪は降りつつ
    「おのがため はるの野に出る なづなつみ」天保11年・1840年「画本柳樽」
    「おのがため 春の野に出る なづなつみ」天保11年・1840年「画本柳樽」
    おのがため はるの野に出る なづなつみ
    「画本柳樽」天保11年・1840年
     この川柳の基になった光孝天皇の和歌では、「君がため」、つまり「あなたのために」と優雅に詠んでいるのに対し、援用した川柳では、「うぬがため」「我がため」「おのがため」などと、「なずなを摘むのは自分のためだ」、「摘んだなずなを売って自分の生計の足しにするんだ」と、ちょっと世知辛い句になっています。
     江戸時代の文献『守貞謾稿』には、『六日に困民・小農ら市中に出て、これを売る。京坂にては売詞に曰く、吉慶のなずな、祝いて一貫が買うておくれ、と云う。一貫は、一銭を云う戯言なり。江戸にては、なずな/\と呼び行くのみ』とあって、「なずな売り」が正月六日に市中を歩いたことが分かります。

    俳諧・川柳に見る「なずな」「七種ななくさ」「若菜わかな」「七種爪ななくさづめ」など  [2]
  • 「七種」や「なずな」などが読み込まれた俳諧・川柳のいくつかを見てみます。
    1. 【俳諧・川柳】
      注:括弧内は、本サイト編集において現代仮名遣いや漢字などに置き換えたものです。

      七草・七種・摘み草・なずな摘み・若菜摘み
      薺のつらをふんて行春  〔 薺の面を 踏んで行く 春 〕
      なずなのつらを ふんでゆく はる
      紀貝 宝暦2年・1752年・誹諧武玉川・三

      わか菜より松曳方や男ふり  〔 若菜より 松曳く方や 男振り 〕
      わかなより まつひくかたや おとこぶり
      宝暦5年・1755年刊・誹諧武玉川・八

      七草の一所つゝはつれ雪  〔 七草の 一所ずつ はずれ雪 〕
      ななくさの ひとところずつ はずれゆき
      宝暦5年・1755年刊・誹諧武玉川・八

      つみ草のやりてハざるを持て出る  〔 摘み草の 遣手は 笊を 持って出る 〕
      つみくさの やりては ざるを もってでる
      川柳評・明和元年・1763年・誹風柳多留拾遺・六

      ぢん笠でつみ草に出る淺ぎうら  〔 陣笠で 摘み草に出る 浅黄裏 〕
      じんがさで つみくさにでる あさぎうら
      明和4年・1767年・誹風柳多留・五

      つみ艸を遣手ハ舟へ呼ひ集  〔 摘み草を 遣手は 舟へ 呼び集め 〕
      つみくさを やりては ふねへ よびあつめ
      安永元年・1772年・誹風柳多留・十

      つみ草の商賣人はみかんかご  〔 摘み草の 商売人は みかん籠 〕
      つみくさの しょうばいにんは みかんかご
      安永4年・1775年・誹風柳多留・十三

      つみ草もざるをもつたハ近所なり  〔 摘み草も 笊を 持ったは 近所なり 〕
      つみくさも ざるを もったは きんじょなり
      安永6年・1777年刊・誹風柳多留・十二

      枩の内つみ草に出るせちからさ  〔 松の内 摘み草に出る 世知辛さ 〕
      まつのうち つみくさにでる せちがらさ
      安永7年・1778年刊・誹風柳多留・十三

      つミ艸もまつのうちハかせきなり  〔 摘み草も 松の内は 稼ぎなり 〕
      つみくさも まつのうちは かせぎなり
      天明5年・1785年・川柳評万句合勝句刷・天五花3

      つみ艸のはしりが來ると松かとれ  〔 つみ草の はしりが 来ると 松が取れ 〕
      つみくさの はしりが くると まつがとれ
      紀鳥 寛政8年・1796年刊・誹風柳多留・二十六

      初春のつみ艸遊ふ人でなし  〔 初春の 摘み草遊ぶ 人でなし 〕
      はつはるの つみくさ あそぶ ひとでなし
      龜鳥 文化4年・1807年刊?・誹風柳多留・四十

      佛の座五行鈴奈で神儒佛  〔 仏の座 五行 鈴奈で 神儒仏 〕
      ほとけのざ ごぎょう すずなで しんじゅぶつ
      麹丸 文政4年・1821年刊・誹風柳多留・七十三

      薺からそだてぺんぺん草で喰うひ  〔 薺から 育て ぺんぺん草で 食い 〕
      なずなから そだて ぺんぺんぐさで くい
      幸司 文政4年・1821年刊・誹風柳多留・七十三

      七草も俗にわかるハ芹なづな  〔 七草も 俗に分かるは 芹 なずな 〕
      ななくさも ぞくに わかるは せり なずな
      一蜂 文政6年・1823年刊・誹風柳多留・七十六

      つみ草の入ものにする下女か袖  〔 摘草の 入れ物にする 下女が袖 〕
      つみくさの いれものにする がじょがそで
      白水 文政7年・1824年刊・誹風柳多留・八十

      七種ハ源氏平家ハ十五日  〔 七種は 源氏 平家は 十五日 〕
      ななくさは げんじ へいけは じゅうごにち
      子安 文政11年・1828年刊・誹風柳多留・百一

      七種の跡て五行の星祭り  〔 七種の 跡で 五行の 星祭り 〕
      ななくさの あとで ごぎょうの ほしまつり
      柳泉 天保3年・1832年刊・誹風柳多留・百二十

      ぺん/\ハ春七草の引のこし  〔 ぺんぺんは 春七草の 引き残し 〕
      ぺんぺんは はるななくさの ひきのこし
      麹丸 天保5年・1834年刊・誹風柳多留・百三十

      七種に門ヘ出そめの鋏研  〔 七種に 門ヘ 出初めの 鋏研ぎ 〕
      ななくさに かどへ でぞめの はさみとぎ
      升丸 天保9年〜11年・1838年〜40年刊?・誹風柳多留・百六十四

      おのがため春の野に出るなづなつみ  〔 おのがため 春の野に出る なずなつみ 〕
      おのがため はるののにでる なずなつみ
      天保11年・1840年・画本柳樽


      なずな売り・なずな買う
      買人の手てつまゝせる薺草  〔 買う人の 手で 摘まませる 薺草 〕
      かうひとの 手で つまませる なずなぐさ
      寛永4年・1627年刊・誹諧武玉川・続(二)

      薺売はやむさほるや蕗のとう  〔 薺売り はや むさぼるや 蕗の薹 〕
      なずなうり はや むさぼるや ふきのとう
      宝暦10年・1760年刊・誹諧武玉川・十四

      薺うり村でも至極かせぐやつ  〔 薺売り 村でも 至極 稼ぐ奴 〕
      なずなうり むらでも しごく かせぐやつ
      明和4年・1767年・誹風柳多留・五

      薺でも𧶠がいけんの聞はじめ  〔 薺でも 売れが 意見の 聞き始め 〕
      なずなでも うれ が いけんの ききはじめ
      明和5年・1768年・誹風柳多留・五

      薺うり此上ねきるところなし  〔 薺売り この上 値切る ところなし 〕
      なずなうり このうえ ねぎる ところなし
      安永元年・1772年・誹風柳多留・十

      此頃の雪てときばるなづなうり  〔 この頃の 雪で と きばる なずな売り 〕
      このごろの ゆきで と きばる なずなうり
      安永7年・1778年刊・誹風柳多留・十三

      なづなうりかけねをいつてしかられる  〔 なずな売り 掛け値を言って 叱られる 〕
      なずなうり かけねをいって しかられる
      安永6年・1777年・誹風柳多留・十五

      うぬが爲春の野に出るなつなうり  〔 うぬが為 春の野に出る なずな売り 〕
      うぬがため はるののにでる なずなうり
      安永7年・1778年・誹風柳多留・十六

      七けんで七文が𧶠るなづなうり  〔 七軒で 七文が売る なずな売り 〕
      しちけんで しちもんがうる なずなうり
      安永7年・1778年・誹風柳多留・十六

      三文かなつなをかつてしかられる  〔 三文が なずなを買って 叱られる 〕
      さんもんが なずなをかって しかられる
      安永7年・1778年・誹風柳多留・十七

      薺うりあるいて来たが元手也  〔 薺売り 歩いて来たが 元手なり 〕
      なずなうり あるいて きたが もとでなり
      眠狐 安永9年・1780年刊・川傍柳・初

      きミよりハ先わか爲のなつなうり  〔 君よりは 先ず 我が為の なずな売り 〕
      きみよりは まず わがための なずなうり
      天明5年・1785年・川柳評万句合勝句刷・天五満1

      薺𧶠六十以上十五以下  〔 薺売り 六十以上 十五以下 〕
      なずなうり ろくじゅういじょう じゅうごいか
      逸飛 文化7年・1810年刊・誹風柳多留・四十九

      三味せんの實ばへ六日に𧶠に來る  〔 三味線の 実生 六日に 売りに来る 〕
      しゃみせんの みばえ むいかに うりにくる
      有幸 文化11年・1814年刊?・誹風柳多留・六十五


      七種たたき・なずな叩き・七種の日
      七種を打度夜也天の川  〔 七種を 打ちたき 夜なり 天の川 〕
      ななくさを うちたき よなり あまのがわ
      宝暦2年・1752年刊・誹諧武玉川・四

      七種も近くて聞けは銭の音  〔 七種も 近くで聞けば 銭の音 〕
      ななくさも ちかくできけば ぜにのおと
      宝暦2年・1752年刊・誹諧武玉川・四

      七種を田の中で聞首尾か出来  〔 七種を 田の中で聞く 首尾が 出来 〕
      ななくさを たのなかで きく しゅびが でき
      川柳評・宝暦3年・1753年・誹風柳多留拾遺・六

      薺の日行先/\ハこほれ松  〔 薺の日 行く先々は こぼれ松 〕
      なずなのひ ゆくさきざきは こぼれまつ
      宝暦9年・1759年刊・誹諧武玉川・十三

      もみくちやな唐土の鳥ハ下女か打ち  〔 もみくちゃな 唐土の鳥は 下女が打ち 〕
      もみくちゃな とうどのとりは げじょが うち
      露丸評・宝暦13年・1763年・誹風柳多留拾遺・初

      七種に一日薺もさそふ水  〔 七種に 一日 薺も さそう水 〕
      ななくさに いちにち なずなも さそうみず
      明和8年・1771年刊・誹諧武玉川・十六

      なゝくさの杓子ハ舌かまハりかね  〔 七種の 杓子は 舌が 回りかね 〕
      ななくさの しゃくしは したが まわりかね
      川柳評・明和元年・1764年・誹風柳多留拾遺・初

      七種をむすめハ一ツ打て迯  〔 七種を 娘は 一つ 打って 逃げ 〕
      ななくさを むすめは ひとつ うって にげ
      明和2年・1765年刊・誹風柳多留・初

      七くさを寢所で笑ふにくらしさ  〔 七種を 寝床で笑う にくらしさ 〕
      ななくさを ねどこで わらう にくらしさ
      明和2年・1765年・誹風柳多留・三

      七ゝくさを見て居娘うちたそう  〔 七草を 見て居る 娘 打ちたそう 〕
      ななくさを みている むすめ うちたそう
      明和4年・1767年・川柳評万句合勝句刷・明四義3

      七草を心の内ていつてうち  〔 七草を 心の内で 言って 打ち 〕
      ななくさを こころのうちで いって うち
      明和4年・1767年・川柳評万句合勝句刷・明四信3

      まな板をたゝくと常の門に成  〔 まな板を 叩くと 常の 門になり 〕
      まないたを たたくと つねの かどになり
      明和6年・1769年・誹風柳多留・七

      臺所ハたゝく表ハひつこぬく  〔 台所は 叩く 表は 引っこ抜く 〕
      だいどころは たたく おもては ひっこぬく
      安永元年・1772年・誹風柳多留・十

      鳥二羽をすり子木て打にきやかさ  〔 鳥二羽を 擂り粉木で 打つ 賑やかさ 〕
      とりにわを すりこぎで うつ にぎやかさ
      安永2年・1773年・川柳評万句合勝句刷・安二叶1

      ぎやうさんなものハ薺のりやうりなり  〔 仰山な ものは 薺の 料理なり 〕
      ぎょうさんな ものは なずなの りょうりなり
      安永4年・1775年・川柳評万句合勝句刷・安四叶1

      春の音にしては七種せ話しなし  〔 春の音に しては 七種 忙しなし 〕
      おとのねに しては ななくさ せわしなし
      風松 安永6年・1777年・誹風柳多留・七十三

      なゝ草は乳母か朝おきはじめなり  〔 七草は 乳母が 朝起き 始めなり 〕
      ななくさは うばが あさおき はじめなり
      安永9年・1780年・川柳評万句合勝句刷・安九梅1

      さわがしいものは節句のはじめ也  〔 騒がしい ものは 節句の 始めなり 〕
      さわがしい ものは せっくの はじめなり
      鼠弓 天明元年・1780年刊・川傍柳・三

      とをくたゞなづなになづなたゝくおと  〔 遠く ただ なずな に なずな 叩く 音 〕
      とおく ただ なずな に なずな たたく おと
      (注:回文になっています) 天明2年・1782年刊・通神多佳楽富年

      なゝ草をたゝく所へくれの人  〔 七草を 叩く所へ 暮れの人 〕
      ななくさを たたく ところへ くれのひと
      天明3年・1783年・誹風柳多留・二十二

      なゝ草を女のたゝくけちなうち  〔 七草を 女の叩く けちな家 〕
      ななくさを おんなのたたく けちな うち
      天明5年・1785年・川柳評万句合勝句刷・天五梅1

      七種に道具のたらぬ荒所帶  〔 七種に 道具の足らぬ 新所帯 〕
      ななくさに どうぐのたらぬ あらじょたい
      素調 寛政11年・1799年刊・誹風柳多留・二十八

      昨晩のお笑艸をかゆにたき  〔 昨晩の お笑い種を 粥に炊き 〕
      さくばんの おわらいぐさを かゆにたき
      錦鳥 文化5年・1808年刊・誹風柳多留・四十五

      七種ハ米に二挺の弓はしめ  〔 七種は 米に 二挺の弓始め 〕
      ななくさは こめに にちょうの ゆみはじめ
      (注:「七種粥」のこと) 斗丸 文化8年・1811年刊・誹風柳多留・五十三

      俎板に乗るハ目出たい仏の坐  〔 俎板に 乗るは 目出度い 仏の座 〕
      まないたに のるは めでたい ほとけのざ
      芋洗 文化8年・1811年刊・誹風柳多留・五十六

      神國のまないたにのる仏の座  〔 神国の 俎板に乗る 仏の座 〕
      しんこくの まないたにのる ほとけのざ
      可笑 文化11年・1814年刊・誹風柳多留・六十六

      七種ハ弁慶ほとな道具だて  〔 七種は 弁慶ほどな 道具立て 〕
      ななくさは べんけいほどな どうぐだて
      梅下 文化12年・1815年刊・誹風柳多留・六十八

      鳥を二羽たゝいて常の門にする  〔 鳥を二羽 叩いて 常の 門にする 〕
      とりをにわ たたいて つねの かどにする
      佃 文政2年・1819年刊・誹風柳多留・七十一

      摺子木て何の鳥だか二羽たゝき  〔 摺り粉木で 何の鳥だか 二羽叩き 〕
      すりこぎで なんのとりだか にわ たたき
      尚古 文政6年・1823年刊・誹風柳多留・七十六

      質草ハしばる七草はたゝく也  〔 質草は しばる 七草は たたく也 〕
      しちぐさは しばる しちくさは たたくなり
      淸屎 文政7年・1824年刊・誹風柳多留・八十

      七種を自慢でたゝく蒲鉾や  〔 七種を 自慢で 叩く 蒲鉾屋 〕
      ななくさを じまんで たたく かまぼこや
      仇丸 天保3年・1832年刊・誹風柳多留・百十七

      摺子木の加役薺と牛蒡なり  〔 摺り粉木の 加役 薺と 牛蒡なり 〕
      すりこぎの かやく なずなと ごぼうなり
      風松 天保4年・1833年刊・誹風柳多留・百二十一

      俎板を木琴にする六日の夜  〔 俎板を 木琴にする 六日の夜 〕
      まないたを もっきんにする むいかの よ
      花菱 天保4年・1833年刊・誹風柳多留・別編・下

      七種の音春に似ぬせわしなさ  〔 七種の 音 春に似ぬ 忙しなさ 〕
      ななくさの おと はるに にぬ せわしなさ
      裏成 天保5年・1834年刊・誹風柳多留・百三十一

      芹薺五行摺粉木かな火箸  〔 芹 薺 五行 摺り粉木 かな火箸 〕
      せり なずな ごぎょう すりこぎ かなひばし
      木卯 天保5年・1834年刊・誹風柳多留・百三十一

      白粥へ夕べたゝひた鳥を入れ  〔 白粥へ 夕べ 叩いた 鳥を入れ 〕
      しらがゆへ ゆうべ たたいた とりを いれ
      巽 天保6年・1835年刊・誹風柳多留・百四十

      七種を娘ハ杵でたゝいてる  〔 七種を 娘は 杵で 叩いてる 〕
      ななくさを むすめは きねで たたいてる
      江山 天保8年・1837年刊・誹風柳多留・百四十五


      七種爪
      七くさに遣手も長い爪をとり  〔 七種に 遣手も 長い 爪を取り 〕
      ななくさに やりても ながい つめをとり
      木綿 安永元年・1772年・誹風柳多留・十一

      くさに遣手もおしいつめをとり  〔 七種に 遣手も おしい 爪を取り 〕
      ななくさに やりても おしい つめをとり
      安永6年・1777年・誹風柳多留・十四

      琴の音の止日七種爪をとり  〔 琴の音の 止む日 七種 爪を取り 〕
      ことのねの やむひ ななくさ つめをとり
      寛政6年・1794年刊・誹風柳多留・二十五

      から見へぬ茶わんに薺あり  〔 夕べから 見えぬ 茶碗に 薺あり 〕
      ゆうべから みえぬ ちゃわんに なずなあり
      芋洗 寛政8年・1796年刊・誹風柳多留・二十六

      注:「夕」の「」の字は、「部」の省略文字。古代に、旁の「阝」だけで「部」と読ませるようになり、さらに「」と省略されたもの。片仮名の「ア」ではない。
      注:例えば、「 物部もののべ 」が「物」、「日下部くさかべ」が「日下」のように使われ、さらに「ア」は「マ」の形へと変化し、カタカナ・ひらがなの「へ」の字が誕生したとされる。

       あした取爪て薺をつんで居  〔 明日取る 爪で 薺を 摘んでいる 〕
      あしたとる つめで なずなを つんでいる
      有幸 文化8年・1810年刊・誹風柳多留・五十六

      七艸の先爪とりハ二本から  〔 七草の 先爪取りは 二本から 〕
      ななくさの さきづめとりは にほんから
      ヒツメ 文政11年・1828年刊・誹風柳多留・百五

      七種を娵ねたられて爪をとり  〔 七種を 嫁 ねだられて 爪を取り 〕
      ななくさを よめ ねだられて つめを とり
      太幸 天保4年・1833年刊・誹風柳多留・百二十三

      七種をしらべて嫁ハ爪を取  〔 七種を 調べて 嫁は 爪を取り 〕
      ななくさを しらべて よめは つめを とり
      柏子 天保9年〜11年・1838年〜40年刊?・誹風柳多留・百六十四

    〔本ページでの俳諧・川柳の出典について〕

    俳諧武玉川はいかいむたまがわ 』は、1750年・寛延3年 から安永5年・1776年 までの、江戸中期に刊行された18編の雑俳集。江戸の俳諧の高点付句を集めたもので、「誹風柳多留はいふうやなぎだる」などに影響を与えた。
    このページでの「誹諧武玉川」からの引用は、山澤英雄校訂・岩波文庫1984年刊を底本とした。
    川柳評万句合勝句刷せんりゅうひょうまんくあわせかちくずり
    万句合まんくあわせ 」は、選者が課題の前句(七・七の一四文字の短句)の刷りものを配布し、五・七・五の一七文字の付句を募集する興行で、「 勝句刷かちくずり 」は高点付句を 勝句かちく として印刷して発行したもの。宝暦年間(1751〜1764)から寛政年間(1789〜1801)頃まで行われたとされ、人気の高かった初世 柄井川柳からいせんりゅう は、自分が選んだ句の中から秀作を選んで「 誹風柳多留はいふうやなぎだる 」を編集刊行した。
    このページでの『川柳評万句合勝句刷』からの引用は、中西賢治編・川柳雑俳研究会1993〜1996年刊を底本とした。
    誹風柳多留はいふうやなぎだる』は、1765年・明和2年から天保11年・1840年 まで、江戸時代中期から幕末までの75年間にわたって刊行された川柳句集。11万余句が収載され、167編が発行されたが、創始者の 柄井川柳からいせんりゅうが関わった24編までが特に評価が高いとされる。
    このページでの「誹風柳多留」からの引用は、岡田甫校訂・三省堂1977年刊を底本とした。
    誹風柳多留拾遺はいふうやなぎだるしゆうい 』は、1796年・寛政8年〜1797年・寛政9年刊の「古今前句集」を改題し、1801年・享和元年 に刊行された川柳句集。
    このページでの「誹風柳多留拾遺」からの引用は、山沢英雄校訂・岩波文庫1995年刊を底本とした。
    川傍柳かわぞいやなぎ 』は、安永5年・1776年 から天明3年・1783年 までの、江戸中期に刊行された全5巻の句集で、初世 柄井川柳からいせんりゅう の選評による月次集句。
    このページでの「川傍柳」からの引用は、1927年・昭和2年刊「日本名著全集 江戸文藝之部 第二十六巻 川柳雑俳集」を底本とした。
    通神多佳楽富年つうじんたからぶね 』は、江戸時代の「黄表紙きびょうし」の一つで、天明2年・1782年刊。
    このページでの「通神多佳楽富年」からの引用は、棚橋正博著『日本書誌学大系48(1) 黄表紙総覧 前編』昭和61年・1986年青裳堂書店刊を底本とした。
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