[3] 鎌倉時代からの文献に見る七草の種類
= 春の七草・春の七種 =

  春の七草 
  七草がゆの作り方 
  秋の七草 
  秋の七草の家紋 
  七草の英名 

 春の七草・春の七種

 はるのななくさ
※ページ内の画像は、クリックして拡大することが出来ます。
春の七草 「せり なずな おぎょう はこべら ほとけのざ すずな すずしろ」(「おぎょう」は「ごぎょう」とも)

[3] 鎌倉時代からの文献に見る「七草・七種」の種類

  • 1月7日は、五節句の一つ「 人日じんじつ節句せっく 」で、この日には、春の七草が入った「七草粥」を食べて邪気を祓い、一年の無病息災と五穀豊穣を祈るとされる風習があります。
  • 春の七草の種類は、現代では「 せり   なずな   御行 おぎょう   繁縷 はこべら   仏の座 ほとけのざ   すずな   蘿蔔 すずしろ  これぞ七草」という言い方が定着し、時期になると「春の七草」がパック詰めされた商品が店頭に並ぶ光景が見られます。
  • パックに入っている植物の内、「ホトケノザ」は「コオニタビラコ」が入っているのが一般的のようで、現在の「ホトケノザ」は食用には適さないということについては前述しました。
  • では、現代に伝わる「春の七草」に当たる植物はどのように伝えられて来たのでしょうか。いくつかの文献などを参考にその種類などを見てみます。

  • 《このページに登場する主な文献》
     歌林四季物語(鴨長明四季物語)  和訓栞  和名類聚抄
     年中行事秘抄  拾芥抄  河海抄  梵灯庵袖下集
     公事根源  壒嚢鈔  食物服用之巻  七草草子
     世諺問答  案内者  大和耕作絵抄  日本歳時記
     植物記  大和本草  草木図説  増補和歌題林抄
     本朝文鑑  古今沿革考  江府年行事  やしなひぐさ
     春の七くさ  守貞謾稿  小学讀本  改正小学読本字引
     墨汁一滴  公武行事歳時記  農業年中行事記  長岡城下年中行事図絵
     越路町史・長岡市史双書      

  • ななくさ』という言葉が登場する古い文献に、鎌倉時代(1185年頃-1333年)初期に、 鴨長明かものちょうめい(仁平3年・1153年〜建保4年・1216年)によって書かれた『歌林四季物語かりんしきものがたり 』があり、次の六種類の植物の名前が見られます。
  • なずな、おぎょう、すゞしろ、仏のざ、川な、くゝたち
  • この内、「なずな、おぎょう、すゞしろ、仏のざ」の四種は現代に伝わる植物の名前と同じですが、「川な」と「くゝたち」は現代の七草の名前としては出て来ません。では、「川な」と「くゝたち」は何でしょうか。
  • 『川な』は、『せり・芹』のことではないかと思われます。『 和訓栞 わくんのしおり 』(文政13年・1830年刊)の「加ハ奈」の項に、「〈略〉芹の名とす、古今集の川菜草も是をいふなるべし〈略〉」などとあります。(『和訓栞』は、江戸中期の国学者 谷川士清 たにかわことすが の編により、安永6年・1777年から明治20年・1887年にかけて刊行された国語辞書。全93巻)
     『和訓栞』に見られる「加ハ奈〈略〉芹の名とす、古今集の川菜草も是をいふなるべし〈略〉」
    『和訓栞』に見られる「加ハ奈」の説明。 (国立国会図書館所蔵)
  • 『くゝたち』は、現代に伝わる七草の『すずな・蕪菁』、すなわち『カブ・蕪』のことではないかと思われます。『 和名類聚抄わみょうるいじゅしょう 』(寛文7年・1667年版)の「飲食部・ 菜羹類さいこうるい 」に「〔和名久々太知、俗用茎立二字〕。蔓菁苗也」と見られ、「久々太知は蔓菁の苗」とあります。「 蔓菁まんせい 」は、「カブの別名」とされていることから、カブの若菜を摘んだのではないかとも思われます。また、『和名類聚抄』の「菜蔬部・園菜類」には『蔓菁』と『蔓菁根』の項があり、和名はそれぞれ〔阿乎奈(あおな)〕、〔加布良(かぶら)〕と記されています。阿乎奈は青菜で、カブの葉や茎を指し、茎立(くくたち)とも呼ばれたようです。 (『和名類聚抄』は、平安時代中期の承平年間(931年〜938年)に源順みなもとのしたごう の編纂によって刊行された辞書。現代の国語辞典、漢和辞典、百科事典などの要素を含む)
     『和名類聚抄』 に見られる「久々太知(くくたち)」の文字など(国立国会図書館所蔵)
    『和名類聚抄』 に見られる「久々太知」の文字(国立国会図書館所蔵)
     『和名類聚抄』 に見られる「加布良(かぶら)」の文字など(国立国会図書館所蔵)
    『和名類聚抄』 に見られる「加布良」の文字など(国立国会図書館所蔵)
    1. ・鎌倉時代初期の成立
      歌林四季物語かりんしきものがたり』(鴨長明四季物語)
      なゝくさのみくさ集むること人日菜羹さいこうを和すれば一歳ひととせの病患を逃るると申ためし古きふみ に侍るとかや。此事三十余り四柱に当たらせ給ふ。とよみけかしきやひめの五年に事起こりて、都の外の七つ野とて七所の野にて一 くさづつを分ち採らせ給ふけり。なずな、おぎょう、すゞしろ、仏のざ、川な、くゝたちとかや申すなるべし。
      注:「とよみけかしきやひめ」は「豊御食炊屋姫」で「推古天皇」のこと。
         「とよみけかしきやひめの五年」は「推古天皇5年」で西暦597年。
       鴨長明『歌林四季物語』に見られる「ななくさ」の内の六種類の植物
      『歌林四季物語』 巻第一 春部
       鴨長明(仁平3年・1153年〜建保4年・1216年)
       (貞享3年・1686年版)
       国立国会図書館所蔵
      歌林四季物語かりんしきものがたり 』は、鎌倉時代に鴨長明(仁平3年・1153年〜建保4年・1216年)よって書かれた四季の公事を随筆風に記した書。

  • 現代に「春の七草」として伝わる七種類の植物が登場する文献の一つに、『歌林四季物語』と同時期の鎌倉時代初期に成立したのではないかとされる『 年中行事秘抄ねんじゅうぎょうじひしょう』があります。
  • 『年中行事秘抄』では、「七種菜」として「 なずな 蘩蔞はこべら せり すずな 御形おぎょう 須々代すずしろ 仏座ほとけのざ」をあげ(注:参考にした国立国会図書館所蔵の原文ではルビは振られていない)、「中国の『金谷園記きんこくえんき 』という文献によれば、正月七日は七種の菜で あつもの を作って食べる」とあります。記されている七種の植物は現代に伝わる物と同じです。
    注: あつもの とは、野菜や魚肉を熱く煮た吸い物を言い、「七草」に関して出てくる場合は「菜類」を入れたもののことを指します。
    1. ・成立年ははっきりしないが、引用文献に建久(1190年〜1199年)の年号があり、また、延応元年・1239年書写とするものもあることなどから、鎌倉時代(1185年頃〜1333年)初期の成立とも思われる(参考:「国史大辞典」)。
      ・『群書類従』本には、建武元年・1324年書写との奥書がある。
      年中行事秘抄ねんじゅうぎょうじひしょう
      七種菜。
       薺。蘩蔞。芹。菁。御形。須々代。佛座。
      金谷云。正月七日。以七種菜羮食之。令人無万病
       『年中行事秘抄』に見られる「薺 蘩蔞 芹 菁 御形 須々代 佛座」の文字
      『年中行事秘抄』 作者未詳
       塙保己一 編 『群書類従. 第五輯』より
       (建武元年・1324年書写版)
       (経済雑誌社 1898年〜1902年 2版)
       国立国会図書館所蔵
      『年中行事秘抄』は、年中行事を古書の引用によって説明した書で、鎌倉初期の成立とみられるが確かではない。作者未詳。
      群書類従ぐんしょるいじゅう』は、江戸時代後期に塙保己一はなわほきいちが編纂し刊行した叢書。

      注:「金谷云」は、「中国唐代(618年〜907年)の『金谷園記』によると」の意。
  • 『年中行事秘抄』より後の、室町時代の暦応年間(1338年〜1341年)に成立したと考えられる『 拾芥抄しゅうがいしょう 』では、『年中行事秘抄』と同じ順で「七種菜」が紹介されています。また、「七種粥」として穀類も紹介されています。
    1. ・暦応年間(1338年〜1341年)の成立
      拾芥抄 しゅうがいしょう 下』
       七種菜
        なずな   蘩蔞 はくべら   せり   すずな   御形 ごぎょう   須須之呂 すずしろ   佛座 ほとけのざ
       七種粥
        米  小豆 アズキ   大角豆 ササゲ   キビ   アワ   菫子  薯蕷 ヤマノイモ
       『拾芥抄』に見られる「薺 蘩蔞 芹 菁 御形 須須之呂 佛座」の「七種菜」の文字
      『拾芥抄』
       藤原公賢(1291-1360) 撰
       藤原実煕(1409-) 補
       国立国会図書館所蔵
      拾芥抄 しゅうがいしょう 』は、中世の日本で表された類書(百科事典)。全三巻。

      注:『拾芥抄』は、原形が鎌倉時代(1185年頃〜1333年)の中期に成立し、室町時代の暦応年間(1338年〜1341年)に増補・校訂が行われたともされる。
  • 『年中行事秘抄』や『拾芥抄』などより後の、貞治6年頃・1362年頃に書かれたとされる『 河海抄かかいしょう 』の「第十三巻 第二十 若菜 上」では、『年中行事秘抄』や『拾芥抄』と同様の表現で「七種」と見られます。
  • 『河海抄』では、「なずな 繁縷はこべら せり すずな 御形おぎょう 酒々代すずしろ 仏座ほとけのざ 」が七種とされています。(注:参考にした国立国会図書館所蔵の原文ではルビは振られていない)
    1. ・貞治6年頃・1362年頃の成立
      河海抄かかいしょう
       七種 薺 繁縷 芹 菁 御形 酒々代 佛座
      注:「酒々代」は、書写本によっては「須々代」の表記もある。
       『河海抄 第十三巻』「第二十 若菜 上」に見られる「薺 繁縷 芹 菁 御形 酒々代 佛座」
      『河海抄 第十三巻 第二十 若菜 上』
       (貞治6年頃・1362年頃成立)
       国立国会図書館所蔵
       (*何年の写本かの記述はない)
       (*「源氏物語河海抄」という並列タイトルが付く)
      河海抄かかいしょう』は、四辻 善成よつつじ よしなりによって著された「源氏物語」に注解・注釈を加えた大著とされる。全20巻で、室町時代初期の貞治6年頃(1362年頃)に成立。

  • ここまで見てきた『河海抄かかいしょう』などの文献では、七草を「歌」として紹介したものはありませんでした。
  • しかし、『河海抄』から20年ほど下った室町時代の至徳元年・1384年頃に成立した、連歌師 梵灯 ぼんとう (1349?〜?)による『梵灯庵袖下集ぼんとうあんそでしたしゆう』という連歌の語彙注釈集には、その十九番に現代に伝わる順序での和歌形式の表現が見られます。のことです。
  • 『年中行事秘抄』や、『拾芥抄』『河海抄』などの文献は、七種を紹介するものでしたが、この『 梵灯庵袖下集ぼんとうあんそでしたしゆう 』では「歌」の一首として収められました。ただし一か所だけ、「これはななくさ」となっている部分は、現在一般的になっている「これぞななくさ」とは違っています。なお、この歌の作者については触れられていません。
    1. ・至徳元年・1384年頃の成立
      梵灯庵袖下集ぼんとうあんそでしたしゆう
       十九 せりなづな ごぎやうはこべら 仏のざ すずなすずしろ 是は七種
       二〇 けふつむや 秋の七種 花ざかり

      『新編国歌大観』第五巻 1109ページ「 梵灯庵袖下集 ぼんとうあんそでしたしゆう 」「十九」「二十」より。(1987年・昭和62年 角川書店刊)
  • このように、に成立した『 梵灯庵袖下集ぼんとうあんそでしたしゆう 』に見られる五七五七七の和歌としての言い回しは、ほぼ現代と同じで、現代の言い回しはこのころから使われるようになって行ったのでしょうか。
  • しかし、この後の時代でも、種類や並びが一定していない文献も見られ、『梵灯庵袖下集』から40年ほど下った応永30年・1423年頃に成立したとされる『 公事根源 くじこんげん 』という書物では、七種を「なずな、はこべら、せり、すずな 、御形、すずしろ、仏の座」の順序で紹介しています。これは、『河海抄』などと同じ表現です。
  • この『公事根源』では、「七草(七種)」の風習がいつ頃からあったのかという事についてのヒントが記されています。
  • 『公事根源』には、「延喜11年正月七日に後院より七種の若菜を くう ず」と記され、これによれば、延喜11年・911年醍醐天皇だいごてんのう の時代には宮中で『七種』を食べる行事があったということになります。
    1. ・応永30年・1423年頃の成立
      公事根源くじこんげん
      延喜11年正月七日に後院より七種の若菜を くう ず (略)
      尋常若菜は七種の物なり。薺、はこべら、せり、菁、御形、すずしろ、佛の座などなり。正月七日に、七種の菜羹を食すれば、その人万病なし、又邪気をのぞく術に侍るとみえたり。
       『公事根源』に見られる「薺、はこべら、せり、菁、御形、すずしろ、佛の座」の文字。「万病なし」「邪気をのぞく」の文字も
      『公事根源』 一条兼良
       国立国会図書館所蔵
       [元和年間(1615年〜1624年)版]
      『公事根源』は、室町時代の
       応永30年(1423年)頃に成立した有職故実書。

  • 和歌形式の七種を載せた『梵灯庵袖下集ぼんとうあんそでしたしゆう 』から60年ほど下った、文安3年・1446年に成立した『 壒嚢鈔あいのうしょう 』では、『ある歌には』『ある日記には』と、過去の歌や日記を引用しながら「七草」の種類には異説があるとしています。
    或歌には
  • せり なづな 五行 たびらく 仏座 あしな みみなし 是や七種
  • 芹 五行 なづな はこべら 仏座 すずな みみなし 是や七くさ
  • 或日記には
  • ナヅナ蘩蔞ハコベラ、五行、すずしろ、仏座、田びらこ、是等也と云云
    1. ・文安3年・1446年成立
      壒嚢鈔 あいのうしょう
       正月七日の七草のあつものと云は七種は何々ぞ、七種と云は異説ある歟、不、或歌には、せりなづな五行たびらく仏座あしなみみなし是や七種 芹五行なづなはこべら仏座すずなみみなし是や七くさ 又或日記には、 ナヅナ蘩蔞ハコベラ、五行、すずしろ、仏座、田びらこ、是等也と云云。
       『壒嚢鈔(あいのうしょう』に見られるいくつかの七草の種類
      『壒嚢鈔』 行誉編
       (文安3年・1446年成立)
       国立国会図書館所蔵
      壒嚢鈔あいのうしょう』は、室町中期・文安3年(1446)に成立した百科事典。僧行誉ぎょうよの編による7巻。事物の起源、和漢の故事、国字・漢字の語源や語義などを解説している。

  • 和歌形式の七種を載せた『梵灯庵袖下集ぼんとうあんそでしたしゆう 』から120年、歌や日記を引用して七種の異説を紹介した『 壒嚢鈔あいのうしょう 』から60年ほど下った、室町時代の永正元年・1504年と奥書のある『 食物服用之巻しょくもつふくようのまき 』では、『「せり、なづな、五ぎょう、たびらこ、仏のざ、すずな、すずしろ これやななくさ」という歌がある』と、歌での七草を紹介しています。
  • ただし、現代では「ほとけのざ」とされる「たびらこ」が、「たびらこ、仏のざ」と、「仏のざ」と並列で書かれています。
  • また、室町時代(1338〜1573)の末期に成立したとされる「御伽草子おとぎぞうし」の一つの『七草草子ななくさそうし 』でも、「たびらこ」と「ほとけのざ」が並列で書かれています。なお、『七草草子』では「歌」としての紹介にはなっていません。
    1. ・永正元年・1504年成立
      食物服用之巻 しょくもつふくようのまき
      歌にいはく。
       せり なづな 五ぎょう たびらこ 佛のざ すゞな すゞしろ これやなゝくさ
       『食物服用之巻』に見られる「せり、なづな、ごぎょう、たびらこ、仏の座、すずな、すずしろ これやななくさ」の文字
      『食物服用之巻』(永正元年・1504年成立)
       小笠原政清
      『続群書類従. 第19輯ノ下 遊戯部.飲食部』より
       塙保己一 編
       (大正13年-15年 続群書類従完成会刊)
       国立国会図書館所蔵
      「食物服用之巻」は食物を服用する礼式を説いた書。1504年との奥書。
      群書類従 ぐんしょるいじゅう』は、江戸時代後期に塙保己一はなわほきいちが編纂し刊行した叢書。

    1. ・室町時代(1338〜1573)末期の成立
      七草草子 ななくさそうし
      七種 なないろ の草をあつめて、柳の木の ばん にのせて、玉椿の枝にて、正月六日の酉の時より始めて、この草をうつべし、酉の時にはせりといふ草をうつべし、戌の時には、なづなといふ草をうち、亥の時には、ごぎょうといふ草、子の時には、たびらこといふ草、丑の時にはほとけのざといふ草、寅の時にはすゞなといふ草、卯の時にはすゞしろといふ草をうちて、辰の時には 七種 なないろ の草を合わせて、東の方より岩井の水をむすびあげて若水と名づけ、
      (注:草の名称の太文字は便宜上付けた)
       『七草草子』に見られる「せり、なづな、ごぎょう、たびらこ、仏の座、すずな、すずしろ」の文字

      『七草草子』(室町時代末期の成立か)
       作者不詳
      『有朋堂書店版 御伽草紙』より
       藤井乙男 校註(大正11年・1922年刊)
       国立国会図書館所蔵

      「七草草子」は、「御伽草子」と呼ばれるの物語一つで、室町末期頃に成立したとされる。「祝儀物」の一つで、七草の由来について書かれている。

      『七草草子』[宝永3年・1706年 書写版]
       宝永3年・1706年 書写版『七草草子』に見られる「せり、なづな、ごぎょう、たびらこ、仏の座、すずな、すずしろ」の文字
      『三弥井書店 室町物語影印叢刊 8』(平成14年・2002年刊)より

  • 『食物服用之巻』から40年ほど下った天文13年・1544年に成立したとされる『 世諺問答せげんもんどう 』という書物では、七種を「なずな、はこべら、芹、すずな 、御形、すずしろ、仏の座など」として、「歌」としては紹介していませんが現代に伝わる種類と同じ植物を紹介しています。
    1. ・天文13年・1544年成立
      世諺問答せげんもんどう
       七日にあつ物をくふは、何のゆへにて侍ぞや。
      正月は小陽の月なり。また七日は小陽の數なり。よつて朝廷を始として、私の家に至るまで、宴會を催すなり、それにあつものを食すれば、万病また邪氣をのぞく術なりといふ本文あり。荊楚記と云文にも、羹を食して人俗病なければ、けふを人日とするとみえたり。延喜十一年正月七日に、後院より七種の若菜を供ずとみえたり。其七種若菜と云は、 なずな、はこべら、芹、すずな 、御形、すずしろ、佛の座などなり。北野天神も和菜羹啜口と作給ひたれば、昔より侍りし事にや。
       『世諺問答』は、天文13年・1544年に一条兼冬によって書かれた年中行事の起源などの問答形式の解説書
      『世諺問答』 一条兼冬
       (天文13年・1544年成立)
        国立国会図書館所蔵
      世諺問答せげんもんどう 』は、年中行事の起源や意味などを、老人に質問し答えてもらう問答形式の解説書。

  • 歌や日記を引用して七種の異説を紹介した『壒嚢鈔あいのうしょう 』から180年ほど下った寛文2年・1622年に成立したとされる『 案内者あんないしゃ 』という書物では、七草には諸説があって「 不分明ふぶんみょう」(はっきりしない様)としています。
    1. ・寛文2年・1622年成立
      案内者あんないしゃ
      七草の事
       七種の若菜を あつものにして食する事は、人に三魂七魄といふたましいあり、天に七曜と現じ、地に七草となる、是をとりて服すれば、我魂魄の気力をまし、命を延るなり、大宋文王の時より始る事也。但七草説々ありて不分明、謡興行のもとにて、
         七草もうたひもはやせ七つゆり
       寛文2年・1622年に成立した『案内者』では、七草の種類は「説々ありて不分明」としている
      『案内者』 中川喜雲
       (寛文2年・1622年成立)
        国立国会図書館所蔵
      『案内者』は、江戸前期の俳人、仮名草子作者の中川喜雲が表した民間風俗年中行事記。

  • 江戸時代の中期、元禄になる前後(元禄元年は1688年)に、石川流宣いしかわとものぶによって書かれたとされる年中行事絵本『 大和耕作絵抄やまとこうさくえしょう 』では、『七種の歌に』として、「せり、なづな、御形、たびらこ、ほとけの座、すヾな、すヾしろ、是ぞ七種」が紹介されています。ただしここでも、現代では「ほとけのざ」とされる「たびらこ」が、「たびらこ、ほとけのざ」と並列で書かれています。
  • この『大和耕作絵抄』では、七草の種類に現代に伝わる植物と若干の違いがありますが、「これぞ七種」の文字が見られ、『これぞ』の部分は現在一般的になっている表現と同じ言い回しです。
  • 『大和耕作絵抄』が書かれたのは、「是は七種」という言い方が見られた『梵灯庵袖下集ぼんとうあんそでしたしゆう』の成立から300年ほど経っています。
  • 現時点での調査では、『梵灯庵袖下集』に『せりなづな ごぎやうはこべら 仏のざ すずなすずしろ 是は七種』の「歌」が紹介され、その後いくつかの文献に「歌」が登場しましたが、それらの最後の七文字は『これは七くさ』や『これや七くさ』で、この『大和耕作絵抄』では『これぞ七くさ』として紹介されました。
  • これも現時点での調査結果ですが、この後の年代に登場する、七草を「歌」で紹介した文献では全て『これぞ』となっています。
  • 『大和耕作絵抄』では、「若菜摘み」の様子や、「 の日の遊び」と言われ、子の日に行われたという「小松引き」の様子なども描かれています。
    ・江戸時代の中期、元禄になる前後の成立
    大和耕作絵抄 やまとこうさくえしょう
    せり なづな 御形 たびらこ ほとけのざ すヾな すヾしろ 是ぞ七種
     元禄前後に書かれたとされる『大和耕作絵抄』に見られる「若菜摘み」の様子。
    『大和耕作絵抄』
     石川流宣
     国立国会図書館所蔵
    石川流宣 いしかわとものぶ は、江戸時代中期の浮世絵師。『大和耕作絵抄』は、年中行事絵本。

  • 『大和耕作絵抄』とほぼ同時期の、江戸時代の元禄になる前年の貞享5年・1688年 に儒学者で本草学者の 貝原益軒かいばらえきけんが編纂に携わって書かれた『日本歳時記にほんさいじき 』にも「これぞ七くさ」の文字が見られ、「ごぎょう」に「五形」の字を当てている点を除けば、現在一般に使われる言い回しと全く同じです。
  • 現時点での調査では、現代と全く同じ表現の歌が見られたのは、この『日本歳時記』が最初ということになります。
  • ただし、『日本歳時記』よりもの、1384年頃に書かれた『 梵灯庵袖下集ぼんとうあんそでしたしゆう 』には、「せりなづな ごぎやうはこべら 仏のざ すずなすずしろ 是は七種」と、現代に伝わる『これぞ七くさ』の部分が『是は七種』となっているだけの言い回しが見られたことは前述の通りです。
    1. ・貞享5年・1688年成立
      日本歳時記にほんさいじき
      今日 七種ななくさ菜粥さいじゅくを製しくらふ、七種菜ななくさなといふは、歌に、
       せり なづな 五形 はこべら 佛の座 すヾな すヾしろ これぞ七くさ
       『日本歳時記』に見られる、和歌調の「せり なずな」の順と、「これぞ七くさ」の文字。
      『日本歳時記』 (貞享5年・1688年)
        貝原益軒刪補、貝原好古編録
        国立国会図書館所蔵
      『日本歳時記』は儒学者で本草学者の貝原益軒かいばらえきけんが指導し、甥の貝原好古かいばらよしふるによって編纂された。

  • 貝原益軒かいばらえきけん が編纂に携わった『日本歳時記にほんさいじき 』では、「七草」のうちのいくつかの種類について説明が加えられています。
    1. ・貞享5年・1688年成立
      日本歳時記 にほんさいじき
      五形ごぎょうは、本草ほんぞうに、鼠麹草そきくそうといへるものなり。又仏耳草ぶつじそう、黄蒿草などとも名づく。仏の座とは、俗にいへるかはらけなどいふものなり。すヾなは菘なり、うきなをいふ。京都にてはたけな、水菜などといふものゝ事なり。ゐなかにては、京菜と云。蔓菁まんせい と一類二物なり。世人多くは菘をしらず。本草の綱目、農政全書等を考見べし。
       『日本歳時記』では、「七種」のいくつかについて説明が加えられている。
      『日本歳時記』 (貞享5年・1688年)
        貝原益軒刪補、貝原好古編録
        国立国会図書館所蔵
      『日本歳時記』は儒学者で本草学者の 貝原益軒 かいばらえきけん が指導し、甥の 貝原好古 かいばらよしふる によって編纂された。

      注:「ごぎょう」とされる「鼠麹草」「仏耳草」「黄蒿草」は、いずれも「ハハコグサ・母子草」のこととされる。
      注:植物学者 ・牧野富太郎まきのとみたろう (文久2年・1862年 - 昭和32年・1957年)は「ごぎょう」について、昭和18年・1943年刊に刊行した『植物記』の「春の七草」の項で、『これは「オギョウ」で「ゴギョウ」と書くのはよろしくない。「五形」はだめであると書いている。また、「ハハコグサ」でもなく、「ホウコグサ」と言うのである』としている。
      ・昭和18年・1943年刊
      『植物記 春の七草』 牧野富太郎
      『植物記 春の七草』 牧野富太郎
      『オギョウは御行と書くがこれをゴギャウというのはよくない、それ故五形と書くのは非である、時には御鏡と書いてあるものもある、この草の本名はホウコグサというのダが普通にはハハコグサ(母子草)と称えて今日はこれが通称の様に成っている、しかしこれをハハコグサと言い母子草と書くのは甚だ宜しくない、(略)即ちこの間違の起りは文徳天皇御一代の歴史を書き集めた『文徳実録』の著者が一つの因縁話を仕組みホウコとハハコと音相近きをもって本来のホウコグサをモジッテ母子草としたのが始まりである、故によく諸書に母子草の名は『文徳実録』からダと書いてある、もしもこの名が昔からの本来のものであれば何も特に『文徳実録』を引き合いに出す必要は少しも無いじゃないか。』
      注:貝原益軒は、宝永7年・1709年に刊行した『 大和本草やまとほんぞう 』で、「七種の菜」として「ハハコグサ」「仏の座」「タビラコ」などについて触れている。
      ・宝永7年・1709年成立
      貝原益軒「大和本草」に見る『ハハコグサ』

      鼠麹草ハハコグサ また仏耳草とも。(略)七種菜のごぎょうと云うは是也。
       貝原益軒『大和本草』に「七種菜のごぎょうとはこれなり」の文字が見える。
      『大和本草』(1709年・宝永7年)
       貝原益軒
       国立国会図書館所蔵
      『大和本草』は、儒学者で本草学者の 貝原益軒 かいばらえきけん によって編纂された。益軒は、中国の本草学史上、分量が最も多く内容が最も充実した薬学著作と言われる『本草綱目』の分類方法をもとに独自の分類を考案し編纂した。

      ・宝永7年・1709年成立
      貝原益軒「大和本草」に見る『仏の座』

       賤民、飯に加え食う、是れ古に用いし、七種の菜なるべし。一説に仏の座は田平子なり。
       貝原益軒『大和本草』に「七種菜のごぎょうとはこれなり」の文字が見える。
      『大和本草』(1709年・宝永7年)
       貝原益軒
       国立国会図書館所蔵

      ・宝永7年・1709年成立
      貝原益軒「大和本草」に見る『黄瓜菜タビラコ

       人日七種の菜の内、仏の座是なり(略)民俗飯に加え蒸食す。またあえものとす。味美し。毒無し。
       貝原益軒『大和本草』に、「仏の座」はこの「黄瓜菜(タビラコ)」の文字が見える。
      『大和本草』(1709年・宝永7年)
       貝原益軒
       国立国会図書館所蔵
      注:上記の、貝原益軒「大和本草」での「仏の座」の部分で、『賤民、飯に加え食う、是れ古に用いし、七種の菜なるべし』としている部分などについて、植物学者・ 牧野富太郎まきのとみたろう (文久2年・1862年 - 昭和32年・1957年)は、昭和18年・1943年刊に刊行した『植物記』の「春の七草」の項で次のように書いている。
      ・昭和18年・1943年刊
      『植物記 春の七草』 牧野富太郎
      『今日世人が呼ぶ唇形科者のホトケノザを試しに煮て食って見たまえ、ウマク無い者の代表者は正にこの草であるという事が分る、しかし強いて堪えて食えば食えない事は無かろうがマー御免蒙るべきだネ、しかるに貝原の『大和本草』に「賤民飯ニ加エ食ウ」と書いてあるが怪しいもんダ、こんな不味いものを好んで食わなくても外に幾らも味の佳い野草がそこらにザラにあるでは無いか、貝原先生もこれを「正月人日七草ノ一ナリ」と書いていらるるがこれも亦間違いである、そうかと思うと同書タビラコの条に「本邦人日七草ノ菜ノ内仏ノ座是ナリ、四五月黄花開ク、民俗飯ニ加え蒸食ス又アエモノトス味美シ無毒」と書いてあって自家衝突が生じているが、しかしこの第二の方が正説である、同書には更に「一説ニ仏ノ座ハ田平子也ソノ葉蓮華ニ似テ仏ノ座ノ如シソノ葉冬ヨリ生ズ」の文があって、タビラコとホトケノザとが同物であると肯定せられてある、そしてこの正説があるに拘わらず更に唇形科の仏ノ座を春の七種の一つダとしてあるのを観ると貝原先生もちとマゴツイタ所があることが看取せられる』
      さらに、牧野は「ホトケノザ」は「コオニタビラコ」であるとして、
      『七種のホトケノザはキク科植物の一つなるタビラコの古名である。このタビラコは飯沼慾斎の『草木図説』にコオニタビラコとしてその図が出ている』
      と書いている。
      牧野があげた飯沼慾斎いいぬまよくさい の『草木図説』では、『コオニタビラコは食べるが大葉のオニタビラコ類はイヌタビラコと言って、これは食さない』としている。
      ・安政3年・1856年~文久2年・1862年刊
      飯沼慾斎「草木図説」に見る『コオニタビラコ』

       飯沼慾斎「草木図説」に見る『コオニタビラコ』。
      『草木図説』
      (安政3年・1856年
        ~文久2年・1862年刊)
       飯沼慾斎
       国立国会図書館所蔵

  • 日本歳時記にほんさいじき』から12年後の宝永3年・1706年に、一条兼良いちじょうかねらの編、北村季吟きたむらきぎん の増補として刊行された『 増補和歌題林抄ぞうほわかだいりんしょう 』では、その第一巻の「春・若菜」の項で、「○ななくさの歌  せり なづな ごぎょう はこべら 仏の座 すヾな すヾしろ これぞ七くさ」と、現代と全く同じ表現の歌が紹介され、さらに『ななくさの歌』という表題も付けられています。
    1. ・宝永3年・1706年成立
      増補和歌題林抄ぞうほわかだいりんしょう
      ○ななくさの歌
      せり なづな ごぎょう はこべら 佛の座 すヾな すヾしろ これぞ七くさ
       『増補和歌題林抄』では、『ななくさの歌』と表題が付けられている。
      『増補和歌題林抄』(宝永3年・1706年)
       一条兼良 編・北村季吟 増補
       十一巻中の巻一「春・若菜」の項より
       国立国会図書館所蔵
      ここに引用した画像は、宝永3年・1706年刊の再刻版とされる、安永6年・1777年版。
       一条兼良いちじょうかねら(1402〜1481)
       北村季吟きたむらきぎん(1624〜1705)

  • 増補和歌題林抄ぞうほわかだいりんしょう 』から12年下った享保3年・1718年に、 各務支考かがみしこう が書いた『本朝文鑑ほんちょうぶんかん 』では、「なずな、すずな、すずしろ、仏の座、御形、はこべら、せり」の七種類を五七調の歌に読み込んでいます。
    1. ・享保3年・1718年成立
      本朝文鑑 ほんちょうぶんかん
       七種の歌 五七言 東華坊
      おもしろや。なずな七種なになにぞ。天の岩戸のあけぼのに。神をいさむる御神樂の。すヾなすヾしろこれかとよ。 に日の本に跡たれて。光やはらぐ春の野の。草木もなベて我國の。佛の座とはいふならめ。御形のにしきしき島や。歌にもれじと此の草も。君が御粥の數なるか。武士もののふの/\。やたけ心もたつかゆみ。つるぎもやがてはこべらと。名によばれたる草なれば。蕗も茗荷も數ならじ。さてみちのくの果てしらぬ。あだちの芹も君がために。つむてふ春の雪ふりて。花やさくらん鳥やわたらん。鳥もわたらぬ先なれば、八穂に八石穂にほと/\と。うつや御かゆのましらけも。三きねに四きねいつの世に。つきもつきせぬよはひぞや。ちはやぶる日本の鳥と唐土の鳥と。わたりくらべて波風も。おさまる御代のためしなりしを。
       各務支考は自著で「なずな、すずな、すずしろ、仏の座、御形、はこべら、せり」を五七調の歌に読み込んだ
      『本朝文鑑』(享保3年・1718年)
       各務支考

       近代日本文学大系. 第23巻(大正15・1926年刊)より
       国立国会図書館所蔵
      東華坊とうかぼうは、各務支考かがみしこうの別号。各務支考(1665〜1731)は、芭蕉門下の蕉門十哲の一人と言われる。

  • 日本歳時記にほんさいじき 』から42年、『本朝文鑑』から12年ほど下った享保15年・1730年に、 柏崎永似かしわざきえいいによって書かれた『 古今沿革考ここんえんかくこう 』では、「若菜は七種にもかぎらず、十二種も供する事有、尋常には七種の物なり」とし、「 なずな、はこべら、せりすずな 、御形、すずしろ、仏の座などなり。此七種の品類、古今家々説々 紛擾ふんじょう なり」として説が様々あるとしています。その中で、仏の座は 車前草おおばこ であると図説しています。
    1. ・享保15年・1730年成立
      古今沿革考 ここんえんかくこう
       七種
      兼明親王の公事根源にいわく、寛平の此より始れるにや、延喜十一年正月七日、後院より七種の若菜を供すといへり。是は新年の若菜を取て菜に調じて奉る。今世正月七日粥に入、七種の若菜を入るゝは、十五日の七種のかゆをとりちがへたる物なり。十五日の七種は、白穀、小豆、粟、栗、柿、小角小豆等なり。是をかゆに入れ調じたるなり。若菜は七種にもかぎらず、十二種も供する事有、尋常には七種の物なり。薺、はこべら、芹、菁、御形、すゞしろ、仏の座などなり。此七種の品類、古今家々説々紛擾なり。春秋七草に弁別するがゆへ、今こゝに略す。若菜も古は禁中にては、内蔵寮ならびに内膳司より献ぜしが、いつの比よりか、今世は精全といへる針医の家より、献ずる事とはなりぬ。
      『古今沿革考』に図説された「七種」
       『日本歳時記』に見られる、和歌調の「せり なずな」の順と、「これぞ七くさ」の文字。
      『古今沿革考』(享保15年・1730年)
       柏崎永似
      『古今沿革考』は、柏崎永似によって書かれた考証随筆。享保15年・1730年成立。

  • 菊岡沾凉きくおかせんりょう によって編纂された享保20年・1735年版の『江府年行事えふねんぎょうじ 』では、「せり、なづな、五ぎょう、はこべら、ほとけの座、すゞな、すゞしろ、これぞ七草」と、現代と同じ言い回しになっています。
    1. ・享保20年・1735年版
      江府年行事えふねんぎょうじ
       正月七日
       七種御祝儀、世俗に云ふ五節句始也、七種の菜粥いわふ、七種は、せり、なづな、五ぎょう、はこべら、ほとけの座、すゞな、すゞしろ、これぞ七草
       『江府年行事』に見られる『七種御祝儀、世俗に云ふ五節句始也、七種の菜粥いわふ』の文字
      『江府年行事』
      (享保20年・1735年版 『続江戸砂子』)
       菊岡沾凉

      「江戸年中行事」(昭和2年・1927年刊)より
       国立国会図書館所蔵

  • 天明4年・1784年に、 脇坂義堂 わきさかぎどう によって編纂された『やしなひぐさ』でも現代と同じ言い回しが見られ、また、「七種の品をしる歌」との表題も付けられています。ただし、「仏の座」について「れんげ花・げんげ花」として「ゲンゲ・レンゲ」をあげて解説しています。
  • 『やしなひぐさ』では、『福わかし』という言葉も見られます。『福沸』は「元日の朝に若水をくんで煮ること。正月四日または七日、一五日などに若菜や神に供えた餠などを粥に入れて食べること」(日本国語大辞典にほんこくごだいじてん・小学館)などとされ、地域によっては「七草がゆ」そのものを指すこともあるようです。
  • また、『やしなひぐさ』では、正月五日に若菜を摘むとし、『根の長きをよしとす。長生きを賀するゆえなり。故に、根切れぬようによくあらうべし』としています。
    1. ・天明4年・1784年成立
      『やしなひぐさ』
       七種ななくさしなをしる歌
      せり なづな 五ぎやう はこべら 佛のざ すヾな すヾしろ これぞ七くさ
       『やしなひぐさ』に見られる、「せりなづな五ぎやうはこべら佛のざすヾなすヾしろこれぞ七くさ」の文字。
      『やしなひぐさ』
       (天明年44・1784年) 脇坂義堂
       「心学道話全集 第五巻」(1927-1928)より
        国立国会図書館所蔵
      『やしなひぐさ』は、江戸時代中期-後期の心学者 脇坂義堂 わきさかぎどう によって編纂された心学叢書。
      『心学道話全集』は、仏教学者加藤咄堂かとうとつどう の監修。

  • 『やしないぐさ』から11年下った寛政7年・1795年に、 曽永年そうながとし によって編纂された『春の七くさ』では、『拾芥抄』『河海抄』『公事根源』などの文献を引きながら、「七くさ」として、「なずな・はこべら・せり・すずな・御形・すずしろ・仏の座」を紹介しています。
  • この書物は、『春の七草』『 春菜考はるなこう 』という並列タイトルが付けられていて、「七草」に「春」をつけて『春の七草』という表現が使われているのは、ここまで見てきた文献では初めてです。のことです。
    1. ・寛政7年・1795年成立
      『春の七くさ』(並列タイトル:「春の七草」「春菜考はるなこう 」)
       『春の七くさ』(国立国会図書館所蔵)並列タイトルとして『春の七草』『春菜考 』が付けられ、「七草」に「春」をつけて『春の七草』という言葉が使われている。
      『春の七くさ』
      (「春の七草」「春菜考はるなこう 」)
      (寛政7年・1795年) 曽永年そうながとし
        国立国会図書館所蔵
      『春の七くさ』全文は、こちらを参照 ≫≫

  • 日本にほんが明治の時代(明治元年は1868年)へと入る直前の慶応3年・1867年に、30年間にわたる執筆から脱稿した 喜田川守貞きたがわもりさだ による、「近世風俗史の基本文献」とも評される『 守貞謾稿もりさだまんこう 』という江戸時代の様々な風俗や事物が記された書物があります。
  • この書物でも、現代と全く同じ言い回しが見られます。〔守貞謾稿について別項あり▶
    1. ・慶応3年・1867年に脱稿
      守貞謾稿 もりさだまんこう
      正月七日
       今朝、三都ともに 七種 ななくさ かゆ を食す。
      七草の歌に曰く、芹 、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すゞな、すゞしろ、これぞ七種。以上を七草と云うなり。しかれども、今世、民間には一、二種を加うのみ。
       江戸時代後期に書かれた『守貞謾稿』に見られる「七種」のこと
      『守貞謾稿 巻二十六』より
       正月七日 
       喜田川守貞
       国立国会図書館所蔵
      守貞謾稿もりさだまんこう』は、天保8年・1837年 から慶応3年・1867年 まで、喜田川守貞きたがわもりさだによって30年間にわたって書かれた全35巻に及ぶ江戸時代後期の風俗史。

  • このように、江戸時代の文献のいくつかには、現代に伝わる和歌調の「せり、なずな、おぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ、これぞ七草」の言い回しが見られますが、これまで見てきたように、七草の種類や言い回しは時代によっては一定せず、また、土地によっても一定しなかったものと思われます。
  • 一方、時代が明治に入ると文部省が設置され、明治6年 からは小学校が開校しました。その小学校の教科書の一つ、榊原芳野さかきばらよしの編集の『小学読本しょうがくどくほん (「しょうがくとくほん」とも)』では、和歌調の並びにはなっていませんが、『春の七草』という言葉を使って、「春の七草は菘、蘿蔔、芹、薺、御行、繁縷、仏の座をいふ」との記述があり、教科書に「春の七草」が載るようになりました。
    1. ・明治6年・1873年刊
      『小学讀本』
      七草に二様あり。春の七草ハ、菘、蘿蔔、芹、薺、御行、繁縷、仏の座をいふ。皆菜なり。秋の七草ハ、萩、尾花、葛花、撫子、女郎花、蘭、朝顔をいふ。
       明治6年・1873年刊の、小学校の国語教科書『小学読本』に見られる「七草」の説明。
      『小学讀本』
      (明治6年・1873年刊) 榊原芳野編

  • その『小学読本』の収録語の読み方や語釈を示した『小学読本字引』には読み方が載っていて、それによれば、「すずな、すずしろ、せり、なずな、おきょう(ごきょう)、はこべら、ほとけのざ」とされます。
    1. ・明治9年・1876年刊
      『改正小学読本字引』
       スヾナ 蘿蔔スヾシロ セリ ナヅナ 御行オキヤウ(ゴキヤウ) 繁縷ハコベラ ホトケ
       明治9年・1876年刊の、小学校の学習参考書『改正小学読本字引』には「七草」の読み方が載っている。
      『改正小学読本字引』
      (明治9年・1876年刊) 榊原芳野編集
       国立国会図書館所蔵

  • 漢字とその読み方が載った『改正小学読本字引』から25年ほど後の明治34年・1901年に、俳人の正岡子規(1867〜1902)が新聞に掲載した『墨汁一滴ぼくじゅういってき』という一文では、「仏の座」と「田平子」が別の物として書かれています。
  • 門下生の岡麓おかふもと が、病床の子規のもとに手土産として持ってきた七草の籠にはそれぞれ札が立てられ、「仏の座」を「亀野座」と記した札や、「田平子」などの札があったというものです。
    1. ・明治34年・1901年1月17日
      墨汁一滴ぼくじゅういってき』 正岡子規まさおかしき
       一月七日の会にふもとのもてしつとこそいとやさしく興あるものなれ。長き手つけたる竹のかごの小く浅きに木の葉にやあらん敷きなして土を盛り七草をいささかばかりづつぞ植ゑたる。一草ごとに三、四寸ばかりの札を立て添へたり。正面に亀野座かめのざといふ札あるはすみれごとき草なり。こはほとけとあるべきを縁喜物えんぎものなれば仏の字を忌みたる植木師のわざなるべし。その左に五行ごぎょうとあるは厚き細長き葉のやや白みを帯びたる、こは春になれば黄なる花の咲く草なり、これら皆寸にも足らず。その後に植ゑたるには田平子たびらこの札あり。はこべらの事か。真後まうしろせりなずなとあり。薺は二寸ばかりも伸びてはやつぼみのふふみたるもゆかし。右側に植ゑて鈴菜すずなとあるはたけ三寸ばかり小松菜のたぐひならん。真中に鈴白すずしろの札立てたるは葉五、六寸ばかりの赤蕪あかかぶらにてくれないの根を半ば土の上にあらはしたるさまことにきはだちて目もさめなん心地する。『源語げんご』『枕草子まくらのそうし』などにもあるべきおもむきなりかし。
      あら玉の年のはじめの七くさを籠に植ゑてし病めるわがため
      (一月十七日)
       新聞『日本』に掲載された、明治34年・1901年1月17日付けの『墨汁一滴 』の切り抜き
       新聞『日本』に掲載された、
       明治34年・1901年1月17日付けの
       『墨汁一滴』の切り抜き

       国立国会図書館所蔵
      正岡子規の『墨汁一滴』は、明治34年・1901年1月16日から7月2日まで、新聞『日本』に164回にわたって連載された。

      注:文字での底本は「青空文庫」。墨汁一滴を青空文庫で読む
  • 現代では、「せり、なずな、おぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ、これぞ七草」の言い回しがほぼ定着し、「七草」は全国で行われる風習のようですが、これが全国的に行われるようになったきっかけは、江戸幕府がこの日を『 式日しきじつ』として公式行事としたことにあるともされます。 〔詳細後述 - 公式行事の「五節句」、そして廃止、現代へ… ▶
    『公武行事歳時記』「はしがき」及び「人日」の項より
        窪寺紘一 平成4年・1992年刊
     天正十八年・1590年 八月朔日に徳川家康が江戸城に入城したことをもって、江戸幕府は八月朔日の八朔を公式の式日とするとともに、宮中の五節会に対応させて人日・上巳・端午・七夕・重陽を五節供に制定した。
     このことから、七草節供は全国的に行われるようになった。 この日諸侯は江戸城に登城し、貴賤七草の粥を祝食した。
  • しかし、その材料は、全国的には必ずしも「せり、なずな、おぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ」だけではなかったようで、例えば、前述の喜田川守貞が江戸の風俗史を書き始めた時期とほぼ同じ天保10年・1839年に、越後長岡藩三島郡浦村の大平与平衛おおひらよへい が記したとされる『農業年中行事記』という文書には、大根以外は全く違う野菜や「するめ」などが見られ、雑煮として食べたと書かれています。
  • なお、同時期に、長岡藩士で絵師の片山翠谷かたやますいこく が描いた『長岡城下年中行事図絵 七種をはやす』という絵によれば、「七種を囃す」際に、「武家では紋付小袖に麻裃を着用して行う(『江戸府内絵本風俗往来』)」とされた江戸での風習は、江戸城下と同じように長岡城下でも行われていたことがうかがえます。
    1. ・天保10年・1839年成立
      農業年中行事記のうぎょうねんじゅうぎょうじき
      正月七日 七草の節句と唱え、朝は、大根・牛蒡・人参・昆布・するめ・里芋・菎にゃく類に和した御雑煮を食す、当日休業。
       『農業年中行事記』に見られる「大根・牛蒡・人参・昆布・するめ・里芋・菎にゃく」の七種
      『農業年中行事記』 天保10年・1839年
        越後長岡藩三島郡浦村 大平与平衛
       『日本農民史料聚粋 第11巻』 より
        小野武夫編  昭和16年・1941年刊
        国立国会図書館所蔵

    1. 『長岡城下年中行事図絵 七種をはやす』
      『長岡城下年中行事図絵 七種をはやす』 長岡市立中央図書館所蔵 
      『長岡城下年中行事図絵 七種をはやす』
       初代 片山翠谷(天明6年・1786年 ~ 弘化3年・1846年)
       長岡市立中央図書館所蔵
      作者の片山翠谷は、長岡藩士で絵師。幕末から明治にかけて活躍した。

      「七種を囃す」際に、武家では紋付小袖に麻裃を着用して行うとされた江戸での風習は、江戸城下と同じように越後長岡藩城下でも行われていたことがうかがえる。
      ただし、この絵からは七草の種類を判断するまでには至らない。
  • 越後長岡藩三島郡浦村の大平与平衛が住んでいたのは現在の新潟県長岡市浦で、長岡市を中心とした民俗誌などには、現在一般的になっている七草とは違う野菜類が使われていたことが記されています。
    1. 『越路町史 別編2 民俗』『七草雑煮と十一日正月』

       七日は七日正月、七草正月である。この日は仕事の休み日で、朝食に七草雑煮や七草雑炊を食べた。七草雑煮といっても三が日の雑煮と変わりがなく、雑煮のコ(具)に大根・牛蒡・人参・里芋・こんにゃく・油揚げ・豆腐など有り合わせの食材を用い、醤油煮した汁を焼いた切り餅にかけたものであった。切り餅の代わりに少量の御飯を入れたのが七草雑炊であった。
    1. 『聞き書き 長岡の民俗(2)』『七草』(長岡市史双書 No.6)

      「王番田・寺宝・河根川(王寺川地区)の民俗」
       正月は四日ころから仕事をはじめ、七日には仕事を休んで七草をする。朝、大根、人参、里芋、コンニャク、豆腐、油揚げ、菜っ葉を入れた七草雑炊を食べる。
    1. 『聞き書き 長岡の民俗(3)』『七草』(長岡市史双書 No.12)

      「村松の民俗」
       七日正月である。七品の野菜類を入れた雑煮を食べ、この日は一日仕事を休む。

      「六日市町の民俗」
       七日正月、大根、人参、ごぼう、白菜などを入れ、イカなどのダシをとって七草雑煮をつくり、神棚や仏壇に供えて食べる。餅の日でも三食であった。
    1. 『聞き書き 長岡の民俗(4)』『七草』(長岡市史双書 No.13)

      「乙吉の民俗」
       七日正月、大根・菜ッ葉、人参、ごぼう、豆腐、油揚げなどの七種に餅の入った雑炊を食べた。

      「百束の民俗」
       正月七日、仕事は休み。七種類の品物を入れて、七種雑煮をつくる。

      「宮本東方の民俗」
       七日、正月は七種類の具の入った七草雑煮を食べ、仕事は一日休み。
    1. 『聞き書き 長岡の民俗(5)』『七草』(長岡市史双書 No.14)

      「摂田屋の民俗」
       七日正月は仕事を休む。何でもいいから七種類の具を入れた雑煮を食べる。
  • 「七草」の種類について古い文献を見てみましたが、日本には、古来から「若菜摘み」という風習があり、そのことは「万葉集」や「古今集」「枕草子」などにも見られます。
  • この「若菜摘み」の風習は、「七草がゆ」の風習とは切っても切れないもののようで、次のページでは「七草がゆ」の風習と「若菜摘み」の風習・行事などについて見てみます。
  • なお、このページでは、いくつかの文献を引いていますが、この他にも文献や説があることも考えられ、ここに述べたことが全ての情報ではありません。皆様からのご指摘をお待ち致します。
  • このページは、例のいくつかをあげ編集しています。
  • 学習や研究などにお使いの際は、辞典・専門書などでご確認ください。(このページを利用され、何らかの不利益や問題が生じても、当サイトは一切の責を負いかねます。あらかじめご了承ください)
  • 本サイトは編集著作物です。データの無断転載等を禁じます。著作権侵害という犯罪

おすすめサイト・関連サイト…